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アメリカ軍の空襲をうけ、那覇市のおよそ9割が焼失した「10・10空襲」からきょうで77年です。那覇市では犠牲者を悼み、慰霊祭が行われました。
77年前の10月10日は県内全域を襲った大空襲では那覇市の90%以上が焼け野原になりました。那覇市の慰霊祭には例年、遺族や体験者などおよそ250人が出席していましたが、今年は新型コロナの影響をうけ、規模を縮小して開催、遺族会の代表などおよそ30人が参列しました。
那覇市連合遺族会瑞慶山良祐会長「再び戦争による惨禍が繰り返されることのないよう、遺族や全市民を上げて、平和の尊さを共有してまいりたいと思います。」
当時首里で空襲を経験した照屋苗子さん(85)「もう真っ赤に燃えているのが一生残っている怖いという一言だね戦争のこと思い出すと平和がずっと永遠に続いていったらいいなって思っている」
また、照屋さんは「2度と戦争が起きないように戦争の悲惨さをこれからも子どもたちに語り継いでいく」と話していました。