5日、閉幕した東京パラリンピック。その最終日に登場したのが、車いす・陸上女子マラソンに出場した喜納翼選手です。大舞台を走ることができた喜びと、悔しさを味わった大会となりました。
時折、雨が強く打ちつける中で迎えた東京パラリンピック最終日。 車いす 女子マラソン・日本記録保持者でパラリンピック初出場、うるま市出身の喜納翼。
宜野湾市にある喜納選手の職場には後援会のメンバーらが集まり沖縄からレースを見守りました。
タイヤランド沖縄 高里健作 さん「空港まで見送りに行った時に調子を聞いたら良いと言っていたので非常に楽しみにしている。もうワクワク ケガしないように頑張って欲しい」
午前6時40分。世界の強豪16人がメダルをかけて競う42.195キロがスタート。青のウェアを来た喜納は前へと進み出て、先頭に。
喜納翼選手「走り自体は最初は楽しく走れればいいなという思いが大きかったんですけどいざ走ると勝負もしたいという思いになってきましたし。積極的にやってみようと思って挑戦してみました」
その後、一度順位を落としますが10キロから15キロ地点にかけて巻き返し2位集団の先頭に踊り出ます。そのまま喜納はハーフまで2位集団につけるなど世界のトップ選手たちに引けを取らない走りを見せます。そしてレース終盤、選手たちの前に立ちはだかるのが勝負の上り坂。
体力・気力ともに振り絞り激しいトップ争いを繰り広げる先頭集団。しかし、そこに喜納の姿はありませんでした。先頭集団が過ぎた約2分後。ハーフ以降は集団のスピードについていけず順位を落としていた喜納。それでも懸命に車輪をこぎ続けます。 メダルこそ届きませんでしたが最後まで粘り強くこぎ続けた喜納は初の大舞台で7位入賞となりました。
沖縄タイヤランド 高里健作 さん「初めてのパラリンピックで7位入賞ということでケガもなく完走できたことをうれしく思っているお疲れ様と。それだけ。おめでとうということで」
喜納翼選手「MIX力の差が大きくてゴールまでついていくことができなかったのは悔しいです。すごく特別な大会だとやる前から思っていたんですけどあるかないかわからない状況から始まって走らせてもらえる機会を与えてもらえたことに感謝していますしすごく「ありがとう」という言葉がしっくりくる大会だったと思います」
そして、これまで喜納選手の成長を誰よりも近くで見守ってきた家族は。
母・貴子さん「苦手な坂も良く頑張って登ってくれたと思います(他の選手)みんなの頑張りを見てもっと頑張ろうという気持ちになってくれたと思います」
父・肇さん「よく頑張った。大したもんだと最後には一生懸命腕振って翼が見えた背中には輝く翼が見えましたと伝えたいですね」