宮城正和さん「いま本当に厳しいですね。ガスを切られてしまっている世帯もありますので、貸し付け給付金も、もういっぱいまで頼ってこれ以上は厳しいという方もいっぱいいる」
生活に困っている人に食料を届け続ける、ひとりの男性がいます。宮城正和さんです。元暴走族の総長だった彼は、いま、寝る間も惜しんで、支援の手を差し伸べ続けています。
この日は、北部在住のシングルマザーから連絡がありました。女性は4姉妹で、姉妹全員、ひとり親世帯だといいます。コロナが長期化する中、支援に関する問い合わせは1日に40件にのぼることもあります。
生活が逼迫している人を優先しながら、平日は5世帯~7世帯、休みの日は20世帯をまわります。
子ども「ありがとうございました」
母親「きのうのきょうで、もうすぐだったので、本当にもらえると思っていなかったので、逆にもうありがたいです。助かっています」
宮城正和さん「自分の身を削ってなんでここまでできるのってよく言われるんですけど、同じ思いをさせたくないっていうのが一番ですけど、生きていることに感謝してほしいというか」
宮城さんは、浦添市でバイクショップを営んでいます。
宮城正和さん「これは子どもたちからのお礼の手紙とかですね、一生懸命書いて渡してくれるんですよ、宝物ですね、自分の。『ありがとう』ってやつも、子どもたちが作ってくれたやつで」
宮城さんは、複雑な家庭環境で育ちました。25年前、小学2年生のときに父の事業が失敗。夜逃げを繰り返す生活を送る中で家族関係が悪化してゆき、宮城さんが中学1年生になると、育児放棄にあい、ひとりで生きなくてはならない状況に陥ってしまうのです。
宮城正和さん「母親が自分たちを食べさせていくために、夜の仕事とかいろんな仕事をに出るようになって、なかなか帰ってこなくなって、1か月に1回とかたまに帰ってくるくらいだったんで、その間は万引きして食べたりとか、ずっとそういう感じでやっていて、どこに助けを求めたらいいか、まったくわからないというのもひとつですし、プライドがあったんですよ。実際は電気もガスも切られて食べるものもなくて、家の中では苦しいんですけど、外に出たときは、かっこいい振りしなければいけなくて、そのために助けてなんて言えなくて、食べれてないんだよも言えないような感じなんで」
助けを求めることができない状況は、13歳の少年・宮城さんから生きる気力を奪っていきました。
宮城正和さん「こんな人生早く終わらないかなって、ずっとそればっかりでした。15歳のときには、20歳ぐらいでは死んでやるって決めて、生きて。がむしゃらにそのぐらい、きょう死んでもあした死んでも悔いがないように、毎日楽しんで生きてやるって、やりたい放題」
気づけばいつの間にか暴走族の総長となり、死を望むかのような暴走行為に明け暮れていました。そんな宮城さんの心を大きく変えたのは、18歳から20歳まで少年院で過ごした時間です。
宮城正和さん「日常の、ご飯が食べれたりとか、いろんなありがたさ、生きているありがたさを知ったっていうんですかね、ずっと一人だと思って生きてたので、誰も助けてくれないと思って、投げやりで、どうでもいいやって思っていたんですけど、そうじゃないというのを気づかせてもらったっていうんですかね」
支援物資にかかるお金は、宮城さんが新ビジネスのために貯めていた資金で賄っています。最近は、活動がSNSなどで知られるようになり、寄付の申し出も増えてきました。
寄付した人「自分の時間と自分のお金も(使って)されているので、本当にすごいなと思って、協力したいなって思いました」
宜野湾市の企業からは、大量のパスタ麺やレトルト食品が届きました。以前仕事で縁のあった人が手を差し伸べてくれたのです。
宮城さんの先輩「10年以上ぶりだよな。SNSで見て、あい、まーさーじゃないかなと思って、連絡とって、なんか協力できたら協力させてもらえないかーということで」
宮城正和さん「一人で全部抱えていたら、いつまでも自分もできないですし、地元の先輩というのがうれしく思う」
食べ物を届ける活動を続ける中で、宮城さんは、人のつながりの大切さを強く感じるようになりました。
宮城正和さん「助けを求めることは恥ずかしいことではない。塞ぎこまないでほしい、ひとりで考え込んでしまって、ひとりじゃないんだよっていうのも伝えたいですね。諦めないでほしいというのは一番強いかもしれないです」
苦しくても生きることを諦めないでほしい!元暴走族の総長だった男性が、今、子どもたちを支える道をひた走っています。