喜納翼選手「2020年は世間的に暗いニュースが多かったと思っているので2021年はぜひ明るくみんな幸せな年になったらいいなと思って」
今年1年の目標に、具体的な競技の内容や結果でなく世の中への思いをつづった車いすマラソンの喜納翼選手。
今年の練習始めは年明け間もない1月2日でした。
喜納翼選手「あまり新年になったという気分はないんですね」
それもそのはず。去年最後の練習は12月31日。東京パラリンピック代表候補として迎える特別な1年の練習始めも喜納選手にとっては中1日での練習に変わりありません。
そんな継続的な練習の甲斐もあって、これまで数々の大会で優勝や記録を打ち立ててきた喜納選手。その輝かしい功績を語るうえで欠かせない大きな存在がいます。
喜納翼選手「下地さんが言っていることをしっかりやっていけば自ずと成果はついてくるということも体感しているので」
下地隆之コーチ。日本パラ陸連の強化委員でもあり、指導だけでなく、レーサーのメンテナンスや喜納選手のマネジメントまで、1人で何役もこなしています。
下地隆之コーチ「2013年からになるので8年目になりますね。本当に世界で戦える位置には来ていると思いますね」
喜納選手の恵まれた体格や腕の長さなど素質を見出し、この競技へと誘ったのも下地さん。当初はあまり興味を持たれなかったものの連絡を取り続け最初に声をかけてから約3年後の2013年、ついに競技を開始。すると喜納選手はメキメキと成長を遂げ、今や日本を代表する選手となっているのです。
下地隆之コーチ「彼女自身が一番驚いているところかなと私としてはマラソンを始める時点で世界で戦える選手に仕上げていきたいと思っていたので特別感は特にないです」
喜納翼選手「全く想像していなかったですね。全然、代表とかに関わってくるところまでいけるとは思っていませんでしたし、そこまでよく育ててくれたなと本当に思います。感謝しかないですね、今ももちろんそうなんですけど間違いなく今の私があるのは、下地さんがあの時見つけてくれて声をかけてくれたからということと私が陸上を始めるまで約3年間、待ち続けてくれたことがあったので今の私があると思っているので」
師弟関係となって8年目を迎える今年。東京パラ出場に期待が高まる、というのはあくまでも周りの期待。2人ともに、その夢舞台へ大きなことは口にしません。
喜納翼選手「特別節目の年という感覚は今は持っていないんですけど大会の時になってくるとまた心境は変わってくるかなとは思います。ただやるべきことは変わらないというのはずっと根底にありますのでそういったところを1つ1つしっかりやっていこうというのが2人の共通認識かなと思っています」
これまで通りこの道を進んでいけば、その先の未来は開ける。厚い信頼関係で、2021年も自分たちの形を崩さず、突き進みます。