今年は新型コロナが日本国内どころか全世界で猛威をふるった1年となっています。まさにコロナという「厄災」に見舞われた年とも言えます。そうしたなか、津堅島で昔ながらの風習で「疫病退散、厄除け」を祈願する伝統行事が行われました。
縄・・・?に、括り付けられた肉?? これは一体??うるま市、津堅島。島で行われているのは「シマクサラー」という厄除け行事です。毎年、旧暦の10月に島をあげて行われます。
この島に生まれ育った玉城 盛哲(たましろ・せいてつ)さん。
津堅島自治会長:玉城 盛哲さん「この行事自体が疫病とかそういうものが入ってこないようにと祈願するというものだから、ちょうどいまの時期、季節の変わり目、旧暦10月っていったらインフルエンザとか色んな風邪とかが入る時期、そういうものが島に入って来ないように祈願するための行事だから」
沖縄の民俗学について研究している宮平 盛晃(みやひら・もりあき)さんはこのように語ります。
宮平 盛晃さん「沖縄県に非常に広く分布していまして、シマクサラシ、シマクサラサー、多少のバリエーションはあるんですが沖縄本島北部から波照間・与那国島まで広く分布している」
古くは1600年代から行われていたとされるシマクサラーやシマクサラシ。行事の内容や行われる時期には地域による違いが見られます。ことし3月には琉球大学の図書館でもコロナ禍を祓うため、豚のぬいぐるみやチラガーのキーホルダーを使って行われました。でも、あまり見かけた事がないような気がしませんか?
宮平 盛晃さん「現状について私が確認できているのは全体の55%では祭りの内容が少し変化していますが行われています。そして残りの45%が戦前、戦後直後、復帰後に途絶えている。約半数は途絶えています」
都市化が進む地域、逆に高齢化と過疎化が進む地域、特に離島などでは長い歴史をもつ儀礼も存続が難しく形骸化が進んでいるのです。そんななか、ここ津堅島では今でもしっかり「伝統行事」として残っているシマクサラー。この日は集落の入り口など島の至る所にこぶし大の肉が吊り下げられました。
玉城 盛哲さん「班長さんの庭で豚肉を煮て、子どもたちにも配ってというのがあった。あんまり僕らが小さいときは肉を食べるというのがそんなにないからね、とっても楽しみだよこの行事が」「年寄りもこれをやるのが楽しみで、縄貼ってる下で車座になってね酒を交わしながら昔話に花を咲かせてね、はずんだり」
人口およそ500人の静かな島で、この日ばかりはあちらこちらで賑やかな声が響きます。
宴会の人々「厄払いだから。コロナだからね、このコロナを村から追っ払いなさいよって線香立てて酒と肉と。昔から」「今年はコロナだから津堅島入って来ないようにウートートー」「これは本当においしいよ伝統の味噌煮だわけさ(お味どうですか)最高ですね」
宮平 盛晃さん「実際の儀礼における「共食」ともに食べる、これが見られたと思うんですけど大体は村の一か所に集まって食べるんですが津堅島では班ごとに分かれて食べる。この事例は非常に少ない」
村の御願なのに神人もタッチしない、ウタキにも行かない。神に頼むんじゃなくて実際に現実的な流行病を防ぐ方法としてこのシマクサラーは考案され、その古い形が津堅島に残っている。神人を介さず、人々の手で行う儀礼。更に「共食」宴会を行うことで深まる地域の絆。只それも人口の減少とともに縮小傾向にあるようです。
島の人「班でも約50名位いたかな、各家庭に子どもたちが5名以上いたから。少なくなってるどころじゃない」
宮平 盛晃さん「人口の減少や物流・交流が沖縄本島に比べてスムーズにいかない点などからシマクサラーは戦前戦後で周辺離島では95%、9割以上が途絶えております。このなかで津堅島のシマクサラーを継続してきた、継続できたことは非常に奇跡とも言えます。その儀礼を存続させてきた津堅島の方々に敬意を表すると同時に今後もこの儀礼を存続していただきたいと思います」
吊るした肉で結界を作るシマクサラーを大切に続けてきた津堅島。島の伝統が災厄を追い払うだけでなく、地域の結びつきを強めます。