あす南極観測船「しらせ」が出発の日を迎えます。日本からおよそ1万5000キロ離れた「南極」行きの船に沖縄から乗り込む1人の男性がいました。過酷を極める極寒の地での観測作業になぜ、加わろうと思ったのでしょうか?
金城順二さん「ずっと沖縄から出ない生活をしていた。南極っていう本当に極地で、ずっと雪と氷の世界、白一色の世界で、非日常的な世界に足を踏み入れることは経験をしたことがないですし、そういった意味では楽しみです」
琉球大学の職員・金城順二(29)さん。南極観測隊として、あす、南極へ旅立ちます。
金城順二さん「(越冬隊は)30名ぐらいで、この1年何ヶ月越冬する。少人数で生活をしないといけない。そういう少人数のチームで、本当に1年固定されてっていうのが、業務としてはすごく面白そうだなと思った」
南極地域観測隊とは、南極地域の気象や地質、海洋などを調査するために国が派遣する隊のことです。1年間に渡って南極で観測を続ける隊のことは「越冬隊」、越冬しない隊は「夏隊」と言います。
金城順二さん「もともと(琉球大学に)採用されて、すぐに人事課というところに配属になったんですが、そこで南極観測隊を募集している応募が来る窓口をやっていたので、こういうのがあるんだというのをまず初めに知って」
今回、越冬隊の一員に選ばれた金城さん。7年前に大学の人事課で観測隊の応募窓口を担当していたことが南極に興味をもつキッカケでした。
金城順二さん「次、応募があったら行ってみたいなというふうに思って。2014年とか15年の頃だと思います。次の隊の募集があって、そこで出したいですっていうを当時の上司に直訴したんですけども、自分もまだ(琉球大学に)入ったばっかりで南極とかに行くほどのスキルもなかったと思いますし。そこでは1回目を断念したという形で」
しかし、南極への想いは膨らんでいったと言います。2度目は応募するも通らず、南極への道はまたも絶たれてしまいました。
金城順二さん「次、3回目が2018年であって、そこで3度目の正直というか、学内でも通って、面接とかまで行けて、そこで決まったというような形です」
3度目の応募で、ついに南極行きのチャンスを手にすることができました。
金城順二さん「マジかという、正直な気持ち。通ったのを聞いて率直に驚いたというか、どうしようかという感じ」
そして去年10月、東京で生活しながら南極へ行く準備のため、瀬戸内海をしらせに実際に乗って航海するなど、研修を積んできました。そして、南極出発まで1カ月を切った先月末、金城さんの姿は沖縄にありました。
同期・安座間理恵さん「もとから(南極に)行きたい行きたいというのは聞いていたので、やっと行けるようになったのか、。希望が通ってよかったという感じはしました」
学生時代お世話になった恩師のもとに。
学生時代の恩師・獺口浩一教授「南極に行くという選択をしてくれて、指導教員としてもすごくうれしい。いい選択をしたと思ってます。こうゆう若い時期に大きなチャレンジと言いますか、順二くんの人生にとってすごくプラスになることが多いんじゃないかと思って、楽しみにしてます」
南極での生活を期待する一方で家族と離れ離れになる寂しさもあると言います。
金城順二さん「ちょうど2人目の子供どもが生まれて、半年たたないくらいに決まったので。今、息子が4歳で娘が2歳。本当にかわいいざかりなので、そこの成長を見守れないっていうのは、すごく寂しい思いもあります。例えば(こどもが)大きくなった時にお父さんが『君が小さいときに(南極へ)行って、こういうことしてたんだよ』っていうのを伝えられたらいいなと思って」
金城さんの南極での仕事は、オーロラや現地での観測の様子などをインターネットを使って情報発信することになっています。
金城順二さん「南極で何をしているかっていうのをしっかり伝えていく。情報発信の面でブログ書いたりですとか、SNSでの発信とか。自然とかそういう科学とかそういったものに、子どもとかが興味を持ってくれたらうれしい。やっぱりそういうのに興味を持って研究者になりたいとか思える子がいれば、その研究の情熱としてはすごい強いものになるのかなと思うので。そういった誰かひとりでもキッカケになればいいなと思ってます」
金城さんはあす朝、観測船「しらせ」に乗り込み、南極へと旅立ちます。