視力が低下したり視野が狭くなる「視覚障害」。見え方の程度は様々で、なかには「弱視」と言ってわずかに物が見えるという人もいます。沖縄で鍼灸師として毎日の仕事を続ける弱視の男性を通じて「見えない生活」を考えます
客にマッサージを施す男性。岩間竿水さん36歳。その目にはサングラスがかかっています。
岩間竿水さん「中心の視野が欠けちゃう病気。真っ正面の真ん中あたりが濃いすりガラス状で周りの風景がぐちゃぐちゃって溶けてわかんなくなっちゃうんで、基本横目で物を見ている。歩けるけど信号見えないし、人はわかるけど、誰かわからない。自分でも見えているのか見えていないのかというのが、その状況じゃないとはっきりしない」
岩間さんは17年前、19歳の時に「黄斑部変性症」という病気が発覚しました。この病気は目の網膜にあるものを見るために重要な働きをする細胞に異常が起きて、視力が徐々に低下していくというものです
岩間さん「我慢の限界超えて。布団に頭突っ込んで泣きましたね。か障がいって言っただけで、世間から遠のけられるっていう頭があったんで、やっぱ隠したい、言いたくない。そこが言えない苦しさ」
視覚障がい者の認定を受けたのは20代後半で、今も症状は進行し、目は日ごとに悪くなっているといいます。障がい者の等級は最も重い1級に次ぐ、2級と診断されています。
岩間さん「白杖も前まではそんな出さなかったんですけど、ここ1〜2年の昼間は結構出すように。徐々には進んでいる感じは自分でもあるんで、今後見えない範囲が少しずつ広がっていってという感じ」
盲学校に入学したのは27歳の時。6年間勉強を続け、指圧や鍼灸の国家資格を取得しました。知人からの紹介を受け、一念発起した岩間さん。1年半前に神奈川から沖縄に移り住み、店を構えました。常連客も少しずつ増えてきたと手ごたえを感じています
常連客「一瞬チクっとする場所もあるんですけど、全体的には全然痛くないです。やってもらったときに感動するくらい、次の日に肌がつやつやしてて、ハリもあって」
およそ4カ月前から岩間さんの店に通い始めた常連客の一人は、岩間さんの明るい性格が人気の秘訣だといいます。
常連客「ちゃんと話を聞いてくれるし、ちゃんと話をしてくれる。コミュニケーションを取ってくれるというのが私は一番あります。技術もあるけど、信頼関係があって身を投げられる」
見えにくい状況にある人がどのような生活を送っているのか、彼の日常に密着しました。
国際通りで人にぶつかることなく、人をかき分けながら進む岩間さん。まるですれ違う人の姿がはっきりと見えているかのように歩き続けています。
岩間さん「シルエットはわかるので、人がいるというのは近くなってくるとわかるんですよ、私の場合。半分感覚で何となく歩いている感じです。見えているときと見えていないときが、その時ならないとわからないので」
天候や距離によって信号の赤と青の区別がつきにくいため、横断歩道を渡るときに細心の注意が必要だといいます。
岩間さん「こっからだと向こうの信号はあまり見えていない。信号自体が見えているときもあるし、見えていない時もある。周り見てなんとなく青かなみたいなくらいな感覚で結構渡っています」
しばらく一緒に歩くことで気づくことも。岩間さんは歩道にある点字ブロックをあまり使っていませんでした。
岩間さん「(Q:点字ブロックは使わないのか)点字ブロックは目安になるんですけど、点字ブロックの上って歩かないんですよ、基本。みんな上を歩くと思っているんですけど、本当は点字ブロックをなぞりながら進むので、この左右を歩く」
点字ブロックの上を歩くと躓いてこける危険性があるのです。だから点字ブロックの上だけじゃなく、両側にも物を置かないでほしいと言います。
そしてこの日は彼がよく行くという店に。メニューにも料理にも顔を近づけ、一つひとつゆっくりと確認します。
岩間さん「ぱっと見てどこが肉で野菜なのかわかっていないです。箸で突っつく、食べるみたいな。口に入れないとわからないって結構ある」
食事を終え、次に向かったのは彼の自宅。
岩間さん「鍵はいつも形決まっているんで、触って凹凸ある方を」
色の濃淡が近いものを区別するのが難しいため、色を使い分ける工夫をしていました。
岩間さん「コーヒーとかミルク、砂糖とか入れていたものですけど、ふたとかがわかりやすいように、色違うもの買ったりとか」
容器のふたの色を変えることで中身がわかるようにするなど、取り間違いを防います。また、色や置き場所をすべて覚え、容器に何が入っているか把握していたのです。
岩間さん「正直、目のことに関して不安とかないですけどね。前も言ったかもしれないですけど、目が悪くなってからのほうが、人生自体楽しいので」
親や友人などから遠く離れた沖縄という場所で鍼灸師・岩間さんは明るい未来を目指して、挑戦し続けています。