まずはこちらをお聞きください。
「今生きるために必死な死にたい人、死にたいけど生きているのは必死に生きたいからだと思う、今ラジオを聴いているあなたは多分今生きたくて、死にたいと言っているけど生きたいから悩んで苦しんでいるんだと思う」
今お聞きいただいたのはコミュニティラジオエフエム那覇の番組の一部です。「死」という重いテーマについて語るのは社長を務める奈良蓮(なら・れん)さん。壮絶な人生を歩んできた自身の経験から強い信念をもって語り続けています。
奈良蓮さん「さぁさぁ時刻は12時を回りましたトークランチョンビート、本日のお相手は私奈良蓮と(セバスチャンです)今日も生放送でお送りしております!」
平日正午、那覇市牧志にある「エフエム那覇」から届けられる小気味よいトーク。パーソナリティをつとめるのは30歳の若さで局の社長でもある、奈良蓮さん。その言葉にはある特徴が。
奈良蓮さん「少しでもラジオを聴いている “あなた” 僕は思っているのは苦しんでいる “あなた” に響けばいいと思っています。何かあったら全然電話してきていいからね」
ラジオでよく聞く「皆さん」という言葉ではなく「あなた」と語りかけます。
奈良蓮さん「一番は寄り添うということをしたくて、そばにいるよという気持ちをラジオで伝え続けたいというか」
奈良蓮さん「自分がラジオで結構助けられたのが多くて落ち込んでいるとき、暗い時にラジオを聴いていて「あなたへ」って言われた気がするんですよ学生の時に、あなたと言われた時に心を癒されたというか、そばにいて寄り添ってもらっている気持ちになった記憶があるんですね」
ラジオに助けられたという過去。そこには壮絶な人生がありました。幼い頃に両親は離婚して僕は母子家庭で育つけれども母子家庭で育っている時にお母さんは僕のことを結構叩きましたね。僕が統合失調症だった頃の話なんですけど精神的に病んでいて苦しくてという時に。死にたいと思っていたところから沖縄に来てみんなに助けられた時に思ったことは」
一番の夢、目標はなんですか? 奈良蓮さん「エフエム那覇は「あなたの夢を叶えるラジオ局」というモットーをもって夢を持っていればラジオをやってもらいたいと思って始めているので」
新しい番組の打ち合わせ中、何度も「夢」という言葉を使うエフエム那覇の社長・奈良蓮さん。
エフエム那覇 局長 國吉雅司さん「エネルギッシュで頼もしい、弱者を助けたいという気持ちを強く持っている人で、常にその人の立場になって考えているところはあります」
「夢の後押しをしたい」そこには夢を見ることさえ叶わなかった暗い過去がありました。
秋田生まれの奈良さん。4歳の頃、両親が離婚しフィリピン人である母と暮らすことになりました。しかし、異国の地でのストレスからか母に暴力を振るわれます。
奈良蓮さん「僕はずっと小学校の頃から自分の首元に包丁を向けて死にたい、消えたいとずっと思いながら生きていたわけ、殴られるたびにそれでずっと許せなかったんだよお母さんのこと」
その後、父方の祖母の家に移り住んだ奈良さん。写真の笑顔からは想像ができませんが幻覚や幻聴に悩まされ、15歳で不登校、16歳で統合失調症の診断を受け、部屋に引きこもるようになりました。
奈良蓮さん「全部うまくいかなくてすべてが嫌になって沖縄に行って死のうと思って」「僕はここらへんを生活圏内にしていましたね」
死ぬ覚悟を決めて、当時趣味で弾いていた楽器を売って沖縄へと船でやってきた奈良さん。
奈良蓮さん「糸満のほうにずっと歩いていったんですよ、死ぬときは海を見に行きたくて、それでずっと国道58号を糸満のほうに歩いて行って、そこで倒れてしまって」
その後一度は助けられますが行く宛てなどなく路上での生活を始めます。
奈良蓮さん「ここで寝てました、ここで段ボールをかぶってあそこを枕にして。ゴキブリが僕の顔の上を這っていって起こしてくるんですよね、でも蚊がいないからここは風通しが良くて」
そんな奈良さんを救ってくれたのは生活困窮者向けの炊き出しを行っていたNPO法人プロミスキーパーズ。徐々に生活を取り戻していった奈良さんはここのスタッフの一員として活動し始めます。
奈良蓮さん「あと死にに来たってことだけでも沖縄の人からしたら嫌だろうになってそんな中、見ず知らずのどこの馬の骨ともわからない僕のことを助けてくれたことが感謝してもしきれないというか沖縄のために頑張っていくこと恩返ししていくことが大事なのかなっていつも思いますね」
4年前、NPOの活動を通して知り合ったエフエム那覇の当時の社長が退任すると聞き、奈良さんは自ら社長を引き継ぐことを希望。ホームレスから社長へと転身を遂げました。
奈良蓮さん「死にたいけど生きているのは、必死に生きたいからだと思う。今ラジオを聴いているあなたは多分今生きたくて、死にたいと言っているけど生きたいから悩んで苦しんでいるんだと思う、その時に“許す”という言葉を知らなかったらその言葉をプレゼントしたいと思って今ラジオで話している」
そう語る奈良さん自身も暴力をふるったお母さんのことを許し、すでに和解しています。ただ、心に引っかかることも。
奈良蓮さん「母ちゃんも母ちゃんで俺のこと許せないことたくさんあったんじゃないかなって、一生懸命育てたけれども自分の手元から離れて父方のばあちゃんのところにいくわけでしょ」
そこで番組中に母に電話することに。
奈良蓮さん「俺が小学校6年生の時にマミーのところ離れたじゃん一回その時結構マミー苦しかったでしょ?」母「蓮のほうが苦しかったよね」奈良蓮さん「俺も俺で苦しかったけどマミーもマミーで苦しかったでしょ?その時になんか俺に対して許せない気持ちとかあったの?なかったの?」母「蓮に?蓮から許してもらいたい」奈良蓮さん「マミーは俺のことを憎んだりとか?」母「ないですないです、絶対にそれはないです、すべてマミーが悪いので、今でも思いますけど」
奈良蓮さん「良い親父と母さんだなって思えるんですよ今は、そういう気持ちになっていくことができたのは許すってことかな、自分の中で許したりとか希望を持つことができたから変われたんじゃないかと思います」
奈良蓮さん「自分が受けてきた痛みとか苦しみとか、自分が見てきた弱い人、つらい思いをしている人というのが根本にあって、そういう人たちに手を開き続けることが大事なのかなってラジオを通してどんなところにいても思いますね」
自身のこれまでの経験をもとに奈良さんはラジオの前の「あなた」に語りかけ続けています。
一度は死を覚悟した奈良さんも今「死」という重いテーマについて語る時に悩むことがあって、こういった報道などで自殺を取り上げると自殺者が増えてしまうということがあるんです、ウェルテル効果というそうなんですが、ただ、今回私は、奈良さんが今こうして過去を肯定的にとらえて糧にして生きていること、その姿を見て少しでも勇気をもらえる方々がいればと思い取材させていただきました。奈良さんは、今後も人に寄り添えると思うことならなんでもしていきたいと話していました。