さて、マチグヮーというと、沖縄に昔からある人と人の交流があって、相対売りで、人情いっぱいの商店街というイメージがありますよね。
そんな那覇のマチグヮーの歴史を学ぼうというユニークな講座が開催されました。その名は「アーケードゼミ」いったい何を学び、生かそうとするのでしょうか。
夕暮れ時の商店街。閉店後の店先でとある勉強会が始まりました。スクリーンに映し出されたのは、むかしの那覇のマチグヮーです。
那覇市歴史博物館・外間政明学芸員「人々からは大きな町と書いて、ウフマチ。またはナーファのまちというふうに呼ばれていました。」
これは那覇の市場中央通り第1アーケード協議会が企画した「マチグヮーアーケードゼミ」。那覇のマチグヮーの成り立ちやアーケードについて学びます。
ガーブ川中央商店街組合・大城誠仁組合長「違法だというのを覚悟の上で、みんなと相談してつくったわけです。」
設計担当・伊良波朝義さん「思いを継承して、新しいアーケードに、再整備につなげていければなと。」
この勉強会に込められた思いを見つめました。
国際通りから旧第一牧志公設市場に向かう道の先に、今回の勉強会を企画した市場中央通りがあります。新型コロナの影響で人通りは少なく休業や閉店した店もありますが・・・。
黒糖屋・本村さん「手作りの黒糖作って売っているんですけど、はぁもう大変だった。もうテレワークしました。今までのお客さんにどんなですかーそろそろ切れていませんか、みたいな感じで、それで、なんとかかんとかつなぎながらきました。」
黒糖屋の本村さんは、扱う品物を変えて営業しています。
黒糖屋・本村さん「ただじっと1日、ぼーっとしていても一緒だから、せっせと縫ってマスク売ったりしながら。」
古本屋を営む宇田さん。思い切って、売り場を広げることにしました。
古本屋ウララ・宇田智子さん「広げている場合ではないと思っていたんですけど、けっこうこの通りの周りの人も、支店を出したりとか、改装したりとか、くよくよして待っているだけじゃなくて、また次へ行動を起こしているのをみていると、背中を押された気がして。」
この市場中央通りには、マチグヮーでおなじみの「あるもの」がありません。それは、アーチ状のアーケード。今年のはじめまでは、こんな姿をしていたのですが・・・。
古い公設市場の解体工事に伴い、市場の建物とつながっていた部分のアーケードが撤去されることに。店主たちは、この事態に頭を悩ませました。
アーケードは商店街の所有物のため、新しく作る費用は、自分たちで捻出しなければなりません。消防法など法的な規制もあり、再整備は不可能に近いといわれていました。
撤去の対象となった3つの通りのうち、2か所がアーケードを再建しないという選択をしたのに対し、唯一、再建の道を選んだのが市場中央通りです。アーケードがなくなれば、マチグヮー全体の賑わいが失われるかもしれない。強い危機感をもっていました。
市場中央通り第1アーケード協議会・佐和田清昌会長「客の流れも違ってくるだろうし、商売がどれくらいできるのか非常に心配。」
アーケードがなくなれば、マチグヮーの賑わいが失われるかもしれない。危機感を感じた市場中央通りの人々は去年4月に協議会を設立。ワークショップや那覇市への働きかけ、県外視察など様々な取り組みを続けてきました。
そして先月、那覇市がアーケードの再整備に対して補助を出すことが決定。ついに、再生への道がひらけたのです。
1年半後のアーケード完成を目指し、協議会のメンバーが最初に企画したのは、マチグヮーの歴史を学ぶ勉強会でした。
古本屋ウララ・宇田智子さん「設計の方がどこにでもあるアーケードじゃなくて、那覇の市場の歴史とか文化を表現できるようなアーケードを作りたいと強く言ってくださっていて、この先何十年もアーケードが残ったときに、みんなが気にかけてもらえるようなものにしていかないと。」
那覇市歴史博物館・外間政明学芸員「私、マチグヮーって言葉、本当は好きではないんです。人々からは大きな町と書いて、ウフマチ。または、ナーファのまちというふうに呼ばれていました。」
那覇市歴史博物館学芸員の外間さんが、戦前から現在に至るまで、那覇のマチグヮーの成り立ちやアーケードの歴史について解説します。
那覇市歴史博物館・外間政明学芸員「1960年代までは写真とかを見る限りはですね、戦前のような売り方をしているんですね。売り手が強いんです。買いに来る人たちが下なんですね。わったー、売ってあげてるよって感じでやっているんですね。」
外間さんは売り手側の意識の変化が、日よけに表れているといいます。
那覇市歴史博物館・外間政明学芸員「やはり傘、ひさし、トタンというような形で、どちらかというと商品管理、日差しが強い中で商売するの大変だというような意識があるのかなと。」
日よけが、売り手側からお客さん目線に変わったのは、那覇に大型ショッピングセンターができた1970年代。各商店街がこぞってアーケードを作るようになりました。
那覇市歴史博物館・外間政明学芸員「商店街の人たちが、こういったアーケードを作って、客足を呼び止める努力をした。これは戦前では絶対考えられない事なんですね。」
当時の状況を鮮明に覚えていたのは、大城誠仁さん。市場中央通りのアーケードは、公設市場の建物に直接ビスをうちつける必要があったため、行政の許可が下りなかったそうですが。
ガーブ川中央商店街組合・大城誠仁組合長「公設市場の建物に許可もなくビスをうって、こういうアーケードを作った張本人なんですよ、僕は。市役所から何回も呼ばれ、何回も注意をうけて、それでも生活を守るためにはしょうがない。」
ガーブ川中央商店街組合・大城誠仁組合長「行政府からすると違法な建物ということでしたけれども、そのおかげで、客足はなんとか食い止めることができた。雨が降っても商売できるような地域になった。そうしている間に、時代の流れが変わって、観光客が入るようになった、沖縄に、那覇にですね。観光客の数も増えるようになった。そして、ここに、国際通りと同じように客が流れるようになった。」
那覇市歴史博物館・外間政明学芸員「那覇というのは、私思っているんですけど、常に生まれ変わっているんですね、最初にできるから、地方はそれを追う形でどんどん新しいものができていく、那覇は古くなっていますけど、古くなったらそれを固持するんじゃなくてすぐ生まれ変わるんです。」
那覇市歴史博物館・外間政明学芸員「今回色々な状況で大変なんですけど、また新たな生まれ変わりを、こういった形で、いろんな方が結集して知恵を出し合えば、また素晴らしい街にできるんじゃないかなと。そういったときに、やっぱり那覇の大町やっさーといわれるような街になってほしいなという気がしております。」
古本屋ウララ・宇田智子さん「みんなが色んな工夫をしてアーケードに代わるものを、戦前から作っていて、それが今まで引き継がれてきたということを知ると、私たちがやっていることもその歴史の中のひとつなんだなと思えて、ひとりよがりではなくて、これも市場の歴史なんだなと思えたのがすごい良かったです。」
勉強会から見えてきたのは、変化し続ける那覇のまち。知恵と工夫で積み重ねられた歴史の上に、どんなアーケードがかかるのでしょうか。
マチグヮーアーケードゼミは、今後も定期的に開催予定。アーケードの完成は、公設市場の完成と同じで、2022年の予定です。