こんばんは、続いてはスポーツです。自転車のロードレースでリオオリンピックにも出場した内間康平選手。今や日本を代表する選手なんですが、そのロードレースから競輪への転向を決意しました。新たなスタートを切る今の思いを聞いてきました。
鍛え上げた肉体で自転車を漕ぎ、誰よりも早くゴールを目指す競輪。最後のスプリントでは、体力の限界までペダルを漕ぐため自転車を降りた後もしばらくは…(息切れ入れて)放心状態。
この過酷な競技への挑戦を決めたのが、内間康平選手。
長距離を走るロードレースで北中城高校時代には、インターハイで県勢初の優勝を果たすなどその才能が開花。2016年には日本代表としてリオオリンピック出場も果たしました。
ロードレース界では日本を代表する選手となっていた内間選手。しかし、短距離勝負となる競輪への転向を決断したのです。
内間康平選手「ロードレースが好きでたまらなかったんですけどコロナの影響で日本のレースもない外での練習もできないという状況になったところでこのやりたかった気持ち、自転車競技にぶつけたかった気持ちをどうしたらいいんだと考え始めたんですよね」
新型コロナによって大会が相次いで中止、さらに海外で開催されるオリンピックの選考レースにも参戦できず、東京五輪出場は厳しい状況。モチベーションの維持が難しくなっていったという内間選手。そんな時、偶然の出会いが内間選手の心を動かしました。
内間康平選手「北中城高校の先輩、屋良朝春選手とたまたま出会って自転車屋でそこで「競輪にくればいいのに」とお誘いをもらって競輪なら開催もされているし、まだ自分の能力を生かせる場所じゃないかと思って」
「好きな自転車で勝負したい」と転向を決断した内間選手。
今は、来月の日本競輪選手養成所の入学試験突破を目指していて練習は内間選手を誘った屋良さんが見てくれてます。
屋良朝春さん「長年ロード、長距離で活躍していたので長い距離を踏めるのは申し分ないですね僕らよりもピカ一だと思います」
ただし、現役の競輪選手である屋良さんはロードレースと競輪は全く別物だと話します
屋良朝春さん「例えば陸上の長距離の選手が100mを走るようなものなので長い距離を走っていた分こういう瞬発系のトレーニングはできていないので最初来たときはこれでは無理だよって感じでしたね」
同じ自転車競技ではあってもこれから進む道は全く別の世界。それでも内間選手には強い覚悟がありました。
内間康平選手「リオオリンピックの時の感謝状国からいただいた。こっちが県からの翁長知事からいただいた表彰状ですね」
自宅で内間選手が見せてくれたのはリオオリンピックに出場した際に国や県からもらった盾。
(Q.特別な舞台ではあったんじゃないですか?)
内間康平選手「すごく特別でした 準備から行くまでも行ってからも違う世界でしたね。(東京五輪は)やはり開催国でその国の選手として出られるというのは絶対ない機会そういうチャンスがあってそこに行けるかもしれないと思いがあってそれにかけてひたすら練習していました」
今回の競輪への転向は夢見ていた東京オリンピックを完全に諦めたことになります。
(Q.1つの夢を諦めるというのは大きい?)
内間康平選手「大きいですね、オリンピックもそうだったんですけどロードにかけていたので僕は練習の画に戻ってやはりペダルにかける思いそれを本当にぶつけたいという気持ちただそれだけですね。自転車に乗ってスピードを出して人と競うそれがやりたいという気持ちだけでチャレンジしています。ここまで力を最後にぶつけられるならいいという気持ちですねぶつけられなかった気持ちを今相当ぶつけているので結果はどうなるかはわからないですけど全力を尽くしてやっていこうと思います」
1つの夢を諦めての大きな決断。だからこそもう後戻りはできない。内間康平、ただ前だけを見て全力でペダルを踏み込みます。