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76年前の8月22日、アメリカ軍の攻撃によって、児童など1484人が犠牲になった疎開船「対馬丸」の慰霊祭が営まれました。

対馬丸は1944年8月22日、1700人余りを乗せて沖縄から長崎に向かっていた学童疎開船で、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け沈没。784人の児童を含む1484人が犠牲になりました。

22日、那覇市で行われた慰霊祭は、新型コロナの影響で例年より縮小して行われ、参列者は一部の関係者に限られました。

慰霊祭で、対馬丸記念会の高良政勝理事長は「新型コロナで対馬丸記念館の来場者が減り、記念館の維持が危ぶまれる」としたうえで「日本で唯一のこどもの戦争記念館としてなんとか維持していきたい」と述べました。

兄と姉を亡くした女性「長女(姉)と長男(兄)が対馬丸で疎開したんですよ。疎開させなかったらよかったんですけどね。戦争がない平和で豊かな沖縄になったらいいねと思います」

対馬丸慰霊祭