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首里城の地下にある旧日本軍が造った第32軍司令部壕の内部に11年ぶりにカメラが入りました。

どこまで続いているのか、地下に造られた真っ暗な坑道。長い月日を経て崩れ落ちた岩。

「下に落ちているのは、天井が崩れて残骸が落ちているということ」

こちらは1944年12月、沖縄戦を指揮するために旧日本軍が首里城の地下に掘った第32軍司令部壕の中の映像です。

1945年5月に南部撤退が始まるまで牛島満司令官などが拠点にしていました。暗い壕の中には軍隊がいた痕が生々しく残されています。「スコップですね。これは靴底が浮いていますね」

戦争遺跡に詳しい元沖縄国際大学教授の吉浜忍さんは「第5坑道というのは、将兵たちの生活、たとえば食事、炊事場、風呂場とか、そういうところがあった場所であるわけです。沖縄作戦の中枢であり、色々記録は残っていますので、それはそれとして語れるとは思いますけど、1000名の将兵が地下壕でどういうふうに生活したのか、これも大事な部分だと思いますので、そういうこともしっかり調査して、明らかにしてほしい」と話していました。

坑道の全長は約1キロともいわれています。しかし現在わかっているのは5つあるとみられている坑口のうち1カ所とそこから延びている約150メートルの坑道です。

「天井にひびが入っていますね、横にひびが入っている」

元沖縄国際大学教授の吉浜忍さんは「結果として、沖縄戦の悲劇がもたらされたということもわかるし、いわゆる沖縄戦の実相がよくわかる場所でもあるから、とても重要な戦跡、戦争遺跡だということです。第32軍司令部壕全体も含めて不明な点がとても多いですよね。まずは調査を徹底してほしい。その上で公開してほしいということですね」と話していました。

第32軍司令部壕 内部を公開