瀬底島の特産品「ムンジュル笠」をご存知でしょうか。農作業の際の日傘として使われ、琉球舞踊の小道具としても知られています。そんな「ムンジュル笠」の作り手がいなくなろうとしています。取材しました。
「むんじゅる平笠のきれいなことよ 娘の頭にちょこんと乗せて 花染手巾(ハナズミティサジ)は帯の前に結び 若者たちをひきつけ 惚れさせようか」
琉球舞踊「ムンジュル」に登場する「ムンジュル笠」。「ムンジュル」とは「ムングル」、小麦の茎を意味する言葉。それを並べて編んだ笠のことで、昔は農作業などに使われていましたが、現在では舞踊に用いられるものが有名です。
日本で最も有名な映画「男はつらいよ」の第25作(昭和55年公開)で沖縄を舞台にした「虎次郎 ハイビスカスの花」で寅さんがムンジュル笠を被っているシーンも印象的です。
その「ムンジュル笠」の産地として有名なのが本島北部の本部町、瀬底島。
日帰りで行ける離島としてドライブや海水浴に人気の瀬底島ですが、1985(昭和60)年に瀬底大橋が開通する以前は主に農業と漁業で人々の暮らしが成り立っていました。
大城昇源さん「瀬底島は田んぼがなくて殆どイモ文化と言われてきたんだけど、そういう穀物に変わるものとして麦は重宝されてたんじゃないかと思う」
刈り取った麦で作られるむんじゅる笠は生活が貧しかった時代、農家の貴重な収入源だったのです。
ひとつひとつ、全て手作業でつくられるムンジュル笠。しかし時代の流れとともに徐々に生産者が減り、ここ数年はわずか2,3人の作り手が残っているばかり。
大城善雄さんは今では島で唯一のムンジュル笠職人。
大城善雄さん「(Q:ムンジュル笠つくって楽しいですか?)はい!楽しいです。遊ぶより手を動かした方がいいから。楽しいですよ。だから90余ってもこんなですよ」
お元気な大城さんですが、1928年生まれの92歳。島には後継者がいません。唯一無二のムンジュル笠。このままではムンジュル笠がこの世から消えてしまう…。現実を重く受け止め動き出した人がいました。
仲程清さん「私が言わなくても皆さんわかってる通り、去年からムンジュル笠作る人がいなくなっちゃって。大城善雄さんが唯一残っておられますけども、善雄さんが元気なうちに技術を継承していこうということで」
島の老人会会長で地域のとりまとめ役の仲程清さん。島の特産品であるムンジュル笠を継承しようと、人々に声をかけ、継承プロジェクトを立ち上げました。
参加者「難しいという一言でね。人がやっているのは簡単と思うけど、実際やったら難しい。(Q:善雄さんの見ててどうです?)すごいなと思う」
休日などに集まって大城さんから作り方を教わり、ムンジュル笠の継承に取り組む活動が始まったのです。
仲程 清さん「先人たちが守り続けたムンジュル笠。今ほとんど作り手が皆無に等しい状況。先人たちが守り続けたものを『灯を消しちゃいけない』という思いから、是非これをやろうと。若い世代に継ぎながら。先輩たちも年をとる一方だから」
島の伝統文化を島の人たちで守っていく。地域がひとつになって支えようとしています。