シリーズ非戦の誓いです。戦後75年のことし、戦争の記憶だけでなく、戦後の記憶も薄れていく今、23日の、全戦没者追悼式の開催場所をめぐって国立戦没者墓苑での開催が物議を呼びました。
なぜ、国立戦没者墓苑ではダメだと反対する声があったのか・・・そこには、戦争の事実を正しく伝えたいという思いがありました。
6月23日は慰霊の日。
太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的な戦いが終わった日とされ最後の激戦地になった糸満市摩文仁の平和祈念公園では毎年、県による慰霊祭が行われています。
しかし、今年、県は新型コロナの感染拡大防止を理由に「慰霊の日」の沖縄全戦没者追悼式の規模を大幅に縮小し、また場所も国立沖縄戦没者墓苑に変更するとしました。これが波紋を呼びます。
5月29日の会見 知念ウシさん「国家の施設である国立墓苑で沖縄戦犠牲者の追悼式をするという事は国家が引き起こした戦争に巻き込まれて肉親を亡くした県民の感情とは相容れないのではないでしょうか」
国立沖縄戦没者墓苑での開催について反対する沖縄戦の研究者などが「例年通りの式典広場で開催するよう」県に求めたのです。
具志堅隆松さん「国による慰霊、沖縄の住人による慰霊というのは明らかに違う」国立で行われる慰霊祭というのは国のために殉じた、いわゆる命をささげた犠牲者を讃えるのが国の慰霊祭なんです」
会場変更を求めた一人、具志堅隆松さん。ボランティアで今も沖縄戦の犠牲者になった遺骨を掘り出し遺族の元に帰す活動を続けています。
具志堅さん「戦死を讃えることによって遺族の国に対する怒りを誇りにすり替えていったのではないか」
国策で命を奪われた”戦争の実態”が国立戦没者墓苑で追悼式を行うことで、史実がゆがめられるのでないかと具志堅さんは危惧しています。
具志堅さん「英霊として祀ることの問題点は戦死を美化する戦争を美化する、美しいものとして捉えさせる。そのことって戦争の実態とはかけ離れているし、それが戦争を伝えきれる人がいなくなった後に戦死の美化だけが残って、国のために死ぬことがすばらしいことであるということが戦争を知らない世代に伝わってしまう、そのことが問題」
戦争の実態とは何だったのか・・・沖縄戦ではおよそ9万4千人の民間人を加えた20万人を超える人々の命が戦争で奪われました。その悲惨な事実を決して”美化”してはならないというのです。
具志堅さん「非常に戦死をロマンチックなものにしてしまう危険がある」
国立沖縄戦没者墓苑を管理する公益財団法人 沖縄県平和記念財団のHPからは墓苑の経緯について書かれていた「殉国」を表現する文章が修正されています。
一方で知事はコロナの感染状況を考慮したうえで式典を例年通りの場所にもどしましたが有志の会の指摘を受けた事については「勉強不足だった」と答えています。
県外から平和の礎を訪れた人「二度と戦争はして貰いたくないからぜひ沖縄のそういう思いがあるなら(国立墓苑での開催を)反対してほしい」
具志堅さん「今回、県が国立沖縄戦没者墓苑でやろうとしてたことそのことによって国立戦没者墓苑というものの存在その国立墓苑が持つ問題を浮かび上がらせることができた県民に知らせることができたという意味では問題提起できてよかった」
戦後75年がたち、戦争体験者や、戦後を生きてきた人が減ってきた今戦争をどのように継承していくかが県民にとって大きな課題になっています。
もうすぐ沖縄戦体験者や遺族がいない時代がやってくる中で、私たちが行う慰霊祭で戦死者をどう伝えていくのか。戦争で死ぬことがすばらしいと伝えるのか、自国の戦争だけでなく世界で起きている戦争を否定して、平和がもつメッセージというのを伝えるのか。
亡くなった人たちの御霊をなぐさめると当時に二度と戦争を起こさないと誓い次の世代に示すことができるのが慰霊祭であると思います。