戦後75年のことし、祖父や祖母の戦争体験を追体験しようと、ある挑戦が行われました。祖父母が避難したその道を子や孫の世代が再び歩きます。
夜明け前の午前3時半、待ち合わせをしたのは「本部を愛する有志の会」のメンバーです。彼らの目的は・・・
仲宗根さん「戦争の追体験で避難経路を歩いてみたいということでなんとか80キロ、頑張って完歩します」
彼らが挑戦するのは、那覇から本部までのおよそ80キロの道のりを2日間かけて歩き、沖縄戦について考えようというものです。
スタート直後、記者「調子はどうですか?」石坂さん「バッチリでーす!」
メンバーらが80キロの旅に挑戦したのには、こんな理由がありました。
石坂さん「今歩いているメンバーは本部のDNAを持っている2世、3世、4世だったりするんですけど、このところ、コロナの影響でいろんなイベントが中止になったりしている最中なんですけど、私たち本部町のDNAをもっている人間たちは、本部をどうゆう形でか元気になってもらうためになんか応援したいなという思いがあって」
仲宗根さん「まずは自分たちで戦争中逃げまどった道を歩いてみてどう感じるか、それを確認したいってゆうのが大きいですね」
そんな旅のきっかけとなったのは、参加者の一人、仲宗根麻紀さんが祖母から実際に聞いた戦争体験でした。
仲宗根麻紀さん「本部町具志堅の2世になります。父が本部町出身で、おばぁちゃんから生きていたころに、那覇から本部まで戦争中に死に物狂いで逃げたよという話を聞いて。歩いたらどうなるんだろうと思って、今回参加したいなぁって思ったんです」
しかし、80キロの道のりを歩く中、メンバーらが目にしたのは、広大な米軍基地でした。
仲宗根さん「2時間半のうち右側がほとんど基地っていう景色なんですよね、半分以上。それが沖縄なんだなって実感しますよね」
日差しが徐々に強さを増していくなか、ひたすらに歩き続けます。この日は50キロを過ぎたところで、一日目の行程を終了しました。二日目は恩納村から本部町までおよそ30キロの道のりです。
仲宗根さん「骨は痛いけど、なんとか頑張れますね」石坂さん「このあたりもきっと雨ふったり、カラっとしたり寒くなったり、あつくなったりむかしのおじぃおばあたちのころに比べたら全然くらべものにならない」
そして、いよいよ本部町に入りました。それぞれのペースで歩いていた全員が合流し、ゴールのかりゆし市場を目指します。そして、ついに、長い長いおよそ80キロを歩き終えゴール。そこには、たくさんの人が待っていました。その中には、本部町長の姿も。
本部町 平良町長「おかえりなさい!おかえりなさい!!」すると、どこからともなく三線の音が。。。
仲宗根さん「やる前はほんとに80キロ歩けるのか自信がなかったですけどほんとに歩けた ということで非常に嬉しいです。歩いてみて、足のウラの骨がホントに痛くなってこんなにつらい思いを戦争中にしてたというの実感して」
麻紀さん「こんな道をどんなして歩いてきたのかなって。こども抱えたり、荷物もって戦火の中走り抜けるっていうのは、もうやっぱり、全然想像はつかないですね、今でも」
おじいや、おばあが避難した道のりを歩いた参加者たち。その中で感じたことを次の世代に引き継いでいこうとしています。
石坂さん「自分が体験したので今後は若い世代の方たちにバトンタッチしたいなと思います。こどもたちに平和のたすきとしてやっていきたいなと思います」