新型コロナの世界的流行で延期となった東京オリンピック。それに伴い、聖火リレーも持ち越しとなりました。沖縄でもちょうど1か月後の5月2日から行われる予定だったのですが、その聖火へ思いを託していた人々を取材しました。
ギリシャから日本へと引き継がれた聖火。日本での聖火リレーは先月26日に福島をスタートし、およそ4か月かけて全国を走り抜ける予定でした。しかし…
安倍総理「東京五輪について現下の状況を踏まえ、概ね1年程度延期することを軸として検討していただけないかと提案いたしました」
大会組織委員会・森喜朗会長「この決定を受けて26日から予定されておりました東京2020五輪聖火リレーはスタートせずに、今後の対応を検討いたします」
新型コロナウイルスの感染拡大で東京オリンピックの延期が決定。聖火リレーも来年に持ち越しとなりました。
来月2日から予定されていた沖縄での聖火リレーのコース。その始まりの場所は、去年10月、火災で焼失した首里城。再建への願いを込めてスタートしたあと、1964年の東京オリンピックで聖火が立ち寄った名護市嘉陽区や南城市の風光明媚な絶景スポットニライカナイ橋などを走り抜け、糸満市の平和祈念公園、平和の丘前広場まで、2日間で合わせて32.7キロを170人のランナーが聖火をつなぐ予定でした。
延期となった今、これらのルートやランナーはどうなってしまうのか実行委員会に聞いてみました。
聖火リレー県実行委員会事務局・島袋琢司さん「ルートや今まで選出してきたランナーの方々は、その枠組みは維持したまま延期という判断をしていますので、県の実行委員会としてもそれに沿って準備を継続していくという考えです」
その一方で、検討が必要な課題も。
那覇市のルートの一部で聖火を乗せて走る予定だったゆいレールのラッピング車両。5月24日までの運行予定でしたが…
聖火リレー県実行委員会事務局・島袋琢司さん「引き続き機運醸成ということで、予定通りの日数までは走らせたい。来年に向けての運行については今のところ検討しているという状況です」
いよいよという時に延期となった聖火リレー。具体的なスケジュールなどは発表されていないものの「中止」にならなかったことに胸をなでおろした人もいます。
宮城実来選手「(ランナーに選ばれた時は)はじめはうれしくて、夢じゃないかと思って何度も見返した」
5月2日に那覇市のコースを走る予定だった宮城実来さん。聴覚に障害のある選手たちが出場する「デフフットサル」の日本代表選手です。
この競技はまだオリンピックやパラリンピックの種目になっていないため、宮城さんは少しでも東京五輪にかかわりたいと聖火ランナーに思いを託しました。
宮城実来選手「沖縄の聴覚障害や他の障害を持っている人に勇気を届けられればいいなと思っている。100%力を出し切れるように頑張りたいと思います」
1年後の実施に期待を寄せるランナーがいる一方、1年待たされることに不安を持つ人たちもいます。
名護市のハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」。自治会の会長を務める金城雅春さんも聖火ランナーとして準備をしてきた1人です。
金城雅春さん「ハンセン病の回復者たちが沖縄の県内にたくさんいる。元ハンセン病患者だったということが言えなくて、みんな隠れて生活しているのがあるので、私は今回聖火リレーに出て、皆さんが力をつけていただいて、一緒になって啓発活動に参加してくれればと思って」
これまで隠れて暮らしていた元患者たちが一歩前に踏み出せるきっかけが去年6月にありました。ハンセン病隔離政策で差別を受けた家族が国に損害賠償を求めた裁判で、国の責任が認められたのですようやく開いた社会の扉。金城さんは聖火リレーに「偏見をなくしたい」という強い願いを込めていました。しかし…
金城雅春さん「1年先になるのはちょっときついなと思って。愛楽園に入所している人たち、自治会の会員の人たちの平均年齢が85歳。時間が経つといなくなってしまう人もいるので、せっかくの機会で惜しいと思っている。皆さん楽しみにしているんですけどね」
また、伝統的なサバニでの聖火リレーを予定している座間味島では、島の中学生たちがサバニを漕ぐ予定でしたが、来年に延期となったことで、最上級生が卒業を迎え、現状サバニに乗ることができません。
佐藤歩海さん「みんなの思いを乗せて、みんなで楽しんで頑張りたいなって思ってました」
知久太陽くん「(延期は)びっくりしたっていうのが一番大きいが、しかたないかなと思っている」
聖火リレーへの思いは後輩たちに託されます。
岩見日香里さん「できなかった人たちの思いを背負っていることを意識して走り切ってほしいと思う」
仲宗根桜理さん「座間味村の代表だから、みんなの思いを込めて楽しんで乗ってほしい」
新型コロナによって延期へと追い込まれた聖火リレー。しかし、聖火には困難を乗り越え、世の中を明るくする力があると話すがいます。
56年前の東京オリンピックで聖火リレーの第1走者を務め、今年も浦添市のコースを走る予定だった宮城勇さんです。
宮城勇さん「1964年、56年前のオリンピックも戦後19年でした。あの時は戦争が終わった後で大変だった。それを乗り越えて、スポーツの世界だけでなく、社会全体に大きな影響を与えて発展してきた」
当時、まだアメリカ軍の統治下だった沖縄。しかしこの日だけは、沿道に日の丸を振る人々の姿が溢れました。聖火は、県民の祖国復帰への願いや平和を求める思いを受けながら走り抜けたのです。
宮城勇さん「沖縄の聖火リレーはまさに平和を希求する沖縄95万人の力強い道標と当時はなりました。だから今回も平和と希望の尊さを伝え、そして生きる喜びと勇気をまたこのオリンピックで示してほしい。そういう火になってほしい」
聖火リレーに込められた思い。人々が不安になっている今だからこそ聖火へ託される思いは強くなっています。