首里城の火災から1週間が過ぎ、 募金活動など、復元へ向けた動きも活発になっています。そんな中、首里城は研究者の英知を集めた「本物だった」と話す前回の復元に関わった研究者が再建へ込めた思いとは。
「家が首里城のすぐ近くにあるので消防車とか救急車のサイレンで目が覚めた。何時頃ですか?え~と4時ごろですね。」「まだ夢じゃないかという・そういう気分です」
安里進さん。30年前、国の首里城整備検討委員会の委員として首里城、御内原(おうちばら)の建物や多くの展示物の復元に携わりました。特に、首里城の「赤い漆の色」は安里さんの功績です。
安里進さん「失って初めてこんなに意味のあるものだったと多くの人が感じていると思います」
安里進さん「最初の頃はね多くの人が自分たちのものとか、沖縄の象徴とかあまり実感がなかったと思います。むしろ冷ややかなところもあったと思います」「これが30年の間に文化的な施設の充実を図っていった努力があった」
安里進さん「(でも)実際写真でみるのと違ってちゃんと立体構造になって自分がその中に立つという意味はとても大きいと思いますね」「それともう一つは沖縄の中のアイデンティティーの高まり。それが呼応しながら動いてきた30年だと思いますね」
安里進さん「この喪失感の中で実は日ごろ気づかなかった自分の中の首里城というのがこんなに一体化して私たちのアイデンティティーのシンボルだとというのを皆もう一度再確認しているんじゃないかと思いますね」
そう語る安里さんですが、前回の復元の時には実は「復元反対」の立場だったと言います
安里進さん「戦前は首里城は沖縄の東南アジア進出の材料にも散々使われてきて、県民はそこに向かわす道具として使われてきたので、またそういうことが再現するんじゃないかということで、納得いかないと(反対した)」
大学生の頃にそう思っていた安里さんでしたが、復元に携わる中で変化が生まれました。
安里進さん「(首里城は)権力者の城ではなくて沖縄の歴史文化、美術、美意識、これの集合体だ、総合体だというね。そういうところに流れてきていると思います」
450年間続いた琉球王国の政治、文化の中心だった首里城。74年前の沖縄戦で焼け落ちたものの安里さんたち研究者や職人の英知と技術を結集し1992年、本土復帰20年を記念し正殿や北殿が復元され、その後も整備が続き、30年かけた復元工事はことし1月に終えたばかりでした。
安里進さん「造って30年経ったんじゃないくて、ず~っと本来の形に近づくようにいろんな努力をしてここまできている」「30年前にできたものじゃなくて、30年かけて造ってきた」
首里城、次の復元は、県民主体のものでなければならないと考える安里さん。研究者としての決意を語りました。
安里進さん「私たち研究者はさらに焼けた首里城よりももう一歩本来の形に近いものをめざしていきたいと思います」