数え年97歳の長寿を祝う「カジマヤー」。祝いの場で配られるものと言えば、風車がおなじみですが、もうひとつ定番があるのをご存知ですか?カジマヤーに欠かせないあるものにかける思いを取材しました。
旧暦の9月7日は、97歳の生年祝いカジマヤー。県内各地で、盛大に長寿が祝われます。今年、3人がカジマヤーを迎えた金武町の屋嘉区。きのうは、地域をあげてお祝いがおこなわれました。
カジマヤーといえば、「風車(かざぐるま)」。97歳の節目をむかえると、人は生まれ変わり、子どもに戻ると言われることから、風車をもって、集落を練り歩くのだそうです。この風車と一緒に配られるものがあります。
屋嘉区民「これ、あやかりでもらいました」「97歳まで元気ですよね。自分も97歳まででも長生きするお祝いをもらいにきました」「これ、記念になるさ。記念になるから全部もっています。」
カジマヤーを迎えた前田カメさん「健康で、本当に嬉しいです。なんとも言えないです。」
タオルに入れる言葉を、1年前から考えてきました。そして決めたのが、こちら。
前田カメさんの娘「孫の言葉をぜひ入れてほしいということで。(記者:どうして、孫っていう言葉を入れたかったんですか?)いつも孫が生まれると、孫の健康とか仕事とか、スポーツとかでも頑張ってほしいって、いつも声かけているんですね。(記者:このタオルは大切なものですか?)そうです。宝物です。だから大事に使おうと思っています。」
97歳の「宝物」を支えている現場を訪ねました。那覇市の嘉数商会。カジマヤー用の風車の準備で大忙し!
嘉数商会・當間京子さん「手ぬぐいと、風車は必需品なので、皆さんご一緒に注文される方が多いので、私たちも請け負ったりしています。」
カジマヤータオル、最近の主流は、名前・生年月日などの本人の情報に加え、祝いの琉歌を入れたものですが、なかには…。
嘉数商会・當間京子さん「石垣の方で、おばあちゃんの絵を描いてきてくださって、これを手ぬぐいにいれたいということで。」
1枚の布に、人柄やこれまでの人生が浮かびます。
嘉数商会・當間京子さん「チムグクルというのかね、お年寄りたちの。あたたかさみたいなものが伝わる一品じゃないかなと思います。」
そしてこちらは、88歳のトーカチ祝いで一足先にタオルを作っている人も。自作の歌を載せたのは、那覇市の國吉さんです。
故郷・識名の情景をうたった識名音頭。長寿を祝ってくれた地域の人への感謝の気持ちを、タオルに込めました。
國吉さん「識名という場所が、これだけでもちょっとわかるんじゃないかなと思います」
タオルが、長寿祝いの返礼品として定着したのは、戦後と考えられています。
稲福さん「タオルをお返しするようになったのは、ずっと新しいことじゃないのかと。昔は風車、手ぬぐいとか、手ぬぐいよりも実用的ということで、タオル、そういうことがどんどん変わって。」
カジマヤーの願いが叶ったので、みんなでお祝いしよう」と喜びの琉歌をつづったのは、宜野湾市の渡慶次賢興さん。日課の新聞チェックは、眼鏡いらず。
渡慶次さん「毎日3食の食事をよく食べること。嫁がいつも美味しいの作ってくれるから。毎日、3食、腹いっぱい食べているよ。」
3度の兵役を生き延びた賢興さん。戦後は、事業を興し9人の子どもを育てました。カジマヤー祝いは、トーカチの時からの目標でした。
渡慶次さん「トーカチの場合にこれ作たんだが、トーカチは、腰ゆくい処。なかゆくいする頃。その時から、あまたあと、10年もしないうちにカジマヤーがくるからといって楽しみにしておる。」
賢興さんのカジマヤー祝いの日がやってきました。まるで結婚披露宴のような雰囲気。引き出物の中には、賢興さんのタオルも。お祝いのフィナーレは、地元でのパレード。この日のために、オープンカーを用意しました。しかし…。
「ひっかかっているのかな?」「あかないと大変よ」(記者:何かハプニングなんですか?)「オープンカーがオープンしない」「オープンカーじゃないですよね」
まさかの、オープンカーの屋根が開かないという緊急事態。
果たして、どうなるのでしょうか?賢興さんのカジマヤーパレード。結局、オープンカーの屋根は開かぬまま。それでも、子や孫たちが力を合わせて、パレードを盛り上げます。
渡慶次さん「やっぱり、みんなに歓迎(?)されて面白い、楽しいさ。もう、カジマヤー97歳でしょ。97歳あやかって、あんたがた120歳まで生きなさい。」
長寿をあやかるカジマヤータオル。先輩たちが歩んできた人生を次の時代につなぐタスキのような存在です。