東日本大震災から8年が経った今、一隻の漁船が長い旅の果てに、金武町の海岸にたどり着きました。旅した距離は、約1900キロです。
中城海上保安本部によりますと、8月31日、巡視艇の乗組員がパトロール中に、金武町の海岸に船が打ち上げられてるのを発見しました。漁船には登録番号が残されており、調べたところ、岩手県釜石市唐丹町花露辺漁協所属の「清昭丸」と判明しました。なんと漁船は2011年3月、東日本大震災の津波で流されていました。
「清昭丸」の所有者の佐々木清文さんは「海保から電話で連絡もらった。登録番号がおたくのだから、船が流されなかったかと。驚きの方が大きいね、喜びよりも。釜石とか吉野浜とか、この辺でも見つかったんだったらわかるけど、沖縄でねー」と話していました。
震災当時は、納屋でワカメの養殖作業をしていたという佐々木さん。家族も幸い被害を免れ、今も漁業を続けています。
佐々木清文さんは「親父は(津波)ここまで来ないって言うから安心していたが、俺はおっかないから、上にあがるって」と話していました。
震災から8年経って、約1900キロ離れた沖縄でひょっこり姿を現した30年来の相棒「清昭丸」。佐々木さんは喜びを表しつつも「女房と俺と船で15年以上(養殖)やっている、2人で、ほとんど2人でやっていたからね。愛着はあるんですけどね。代わりの船もあるし(沖縄は)遠いもんね。俺の希望とすれば、どうかわからないけど、あっちの地元で欲しい人がいれば提供するから、使ってもいいです」と話していました。
震災から8年。実は佐々木さんは新しい船と再出発したんですが、その船にも同じ「清昭丸」と名付けています。失われた船への愛着があったということです。突然現れた船は、あの記憶を忘れてはならないと言っているようですし、復興に向けて頑張っている人たちを私たちも沖縄から応援したいと思います。