Qプラスのキャスターが県内各地を歩く「お散歩プラス」です。前回に引き続き、私が多良間島をお散歩します。宮古島と石垣島のほぼ中間にある多良間島。前回は、豊年を祈るお祭り「スツウプナカ」に潜入し、伝統を受け継ぐ、島の人たちの思いに触れました。
今回も一緒にお散歩してくれるのは、玄さんこと富盛玄三さん。多良間島の「祈り」の行事に欠かせないある場所に案内してもらいました。
金城キャスター「鳥居みたいなものが見えてきたんですけど、あれはなんですか?」
富盛玄三さん「あれはシュガー御嶽といって多良間の人たちが信仰している御嶽なんですね。塩川って書いてシュガーと読むんですよ」
御嶽の中は聖なる領域。神聖な空気に包まれています。
金城キャスター「こんなに立派な御嶽があるんですね。おうちみたい」
富盛玄三さん「こういう風に・・・開くんですよ。戸締りはしません。自由にお参りして、自分たちの生活とかいろんな報告をしてまた元気よく働くということでオープンにしてあります」
この御嶽に集まり豊作を願う行事は年に18回もあるんだそうです。
金城キャスター「多良間はお祈りが多い島なんですね」
富盛玄三さん「島を守っている、自分たちを守っているのは御嶽の神様だというのがありますから自然崇拝で、自然に感謝するっていうことでね」
自然を尊ぶ多良間の人々。特に島を災害から守るフクギは、村木として守られています。建物をたてる時も木を優先して工事をするんだとか。このシュガー御嶽に向かう参道にも樹齢250年以上ともいわれるフクギ並木がおよそ650mも続いています。(
島の人が大切に守ってきた自然と御嶽。そこにはある伝説が存在するというのです・・・。
たくさんの木々に囲まれたシュガー御嶽。裏手にまわってみると、林の奥に大きな岩が・・・。
富盛玄三さん「霊石が飛んできたっていう伝説がありますからそこの奥のほうに。この2つですね、2個飛んできたと言われているんですよ」
金城キャスター「木が生えてますよね」
神様が降りてきたと信じた人たちはここを健康や豊作を祈願する場所にしようと決めたのだそうです。
金城キャスター「イメージしていたものよりも岩が大きくてびっくりしました」
金城キャスター「山の中に入ってきましたね」
富盛玄三さん「ここが里之子墓といって平敷屋朝敏お墓ですね」
金城キャスター「平敷屋朝敏って有名な組踊の」
琉球王国の士族で劇作家でもあった平敷屋朝敏。討伐モノが主流だった組踊で、唯一、恋の物語として「手水の縁」を作りました。タブーとされていた自由恋愛を描いたことで国の怒りを買ったうえ支配体制に反発したことで、朝敏は磔の刑に。
朝敏の息子は多良間島に流されましたが、島の女性と結婚、子宝にも恵まれ、繁栄したといいます。そのご一族の墓もつくられ、父、朝敏の遺骨も納められて今は家族いっしょに、静かにねむっています。
富盛玄三さん「亀甲墓のような形もしていますけどそれとは違う。悲しい物語もあるんでちゃんとお墓もつくってみんなで見守っているというのも多良間の文化ですよね」
最後にやってきたのは、島の高台。
金城キャスター「石垣が見えてきました」
富盛玄三さん「これが遠見台ね」
およそ300年前の鎖国体制下、薩摩に支配されていた時代、外国船がくるのを監視し、通報する役割を担っていた「八重山遠見台」今はなにが見えるのか、のぼってみると・・・?
金城キャスター「今は木しか見えない・・・」
富盛玄三さん「本当はここから360度みんな見渡せたんですよね」
300年前は海が見渡せましたが今は木々が生い茂り、視界を遮っていました。
金城キャスター「玄さん、後ろにあるのは?」
富盛玄三さん「ここでは景色が見えないもんですから、上にあがると360度見渡せる。登っていこう」
早速、螺旋階段をぐるぐるのぼっていくと・・・
金城キャスター「すごーい!きれいですね」
島の隅々まで見渡せる、まさに絶景スポットです。
富盛玄三さん「宮古がこの辺です。あれが石垣」
金城キャスター「宮古と八重山は距離的には八重山が近い?」
富盛玄三さん「同じくらい」
金城キャスター「宮古は全然見えなくて、石垣は、はっきり見える。それだけ山が高いんですね」
美しい自然が広がる多良間島。玄さんにとって多良間島とはどんな存在なんでしょうか?
富盛玄三さん「伝統芸能、文化があって、それを育みながらみんなが一生懸命働いてね。自分の島が好きだっていうかたちでね、みんな頑張っているんで。15の春で出ていっても、島が好きだよというのを教えておけば戻ってくると思うんですよ」
玄さんの島への思いを知ったところで今回はここまで!お散歩プラス、次回もお楽しみに!