家族への差別を認めた判決が確定した『ハンセン病家族訴訟』国が控訴を断念し、家族に直接謝罪することも決めました。差別や偏見のない社会をどうつくっていくべきなのか補償をめぐる課題も見えてきました。
安倍総理「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のみなさまのご苦労をこれ以上長引かせるわけにはいきません」
宮城賢蔵さん「これ聞いた時はうれしかった」
差別を生み出した責任を認めた国の判断に喜びをかみしめる宮城賢蔵さん
宮城賢蔵さん「この人生の中で自分の生まれている間に、生きている間に裁判が決着つくか不安だった」
『ハンセン病家族訴訟』の原告の1人です。
宮城賢蔵さん「家も焼かれた。この家にはばい菌が蔓延してるから焼けと」
生後3カ月の時にハンセン病が発覚した母と離れ離れの生活を強いられた賢蔵さん。商売を始めた時や結婚する時、人生の節目で受けた差別を法廷で訴えてきました。
元患者の家族561人が立ち上がったこの裁判。裁判所は家族側の主張を全面的に認めました。歴史的な1日となった6月28日。
それから11日後、国が判決を受け入れ控訴しないことを明言しました。
原告団の団長「正直に言って、(控訴断念は)当然のことだけどもホッとしております」
さらに、3日後…国が総理談話を発表。
菅官房長官「政府として改めて深く反省し、心からおわび申し上げます。私(=安倍総理)も家族のみなさまと直接お会いしてこの気持ちをお伝えしたいと考えています」
安倍総理が直接謝罪すると述べ、裁判に参加・不参加を問わず救済するための法整備を検討する考えも示しました。
国の過ちを認め謝ってほしい…3年あまり闘いを続けてきた元患者の家族たちの思いがようやく国に届いた瞬間でした。
原告団の副団長「断絶された当事者と家族の関係性を取り戻すということが、(国に)これから非常に求められると思います」
画期的な判決の裏で見えてきた課題…それは”沖縄”特有の問題でもありました。
判決文「戦後米国統治下にあった沖縄との関係においては、本土において昭和35年以降負う義務につき昭和47年5月15日以降同様の義務を負う」
判決文ではアメリカの統治下だった期間の沖縄での被害について、国の責任を認めていないのです。
稲山聖哲弁護士「米軍統治下のことで、その期間の責任というのは否定をされておりますので、それについてどう救済をしていくのかということは課題として残る」
弁護士たちは格差が生じるような救済はあってはならないと訴えています。
稲山聖哲弁護士「当然我々としては認められるべきものだと考えておりますので、1人も切り捨てることがないようにこれから活動していくつもりです」
原告団の団長「私たちは自分の身内に、元らい患者と言われた人がいたよ、今も、ハンセン病療養所で身内の者がいるよということを、茶話にでもできるような社会を作っていかなければならない」
ようやく動き出した救済への道。そこには、差別や偏見のない社会を求め続けたハンセン病家族たちの強い思いがありました。