宮森小学校にアメリカ軍のジェット機が墜落した事故からことしで60年です。その事故を題材にした舞台を作り上げた高校生たちの思いとは。
新垣ハルさん「誰が誰かわからない、わったー晃まーかがやーして、こっちにいるんだけどよ、わからなかったよ。全身焼けているさ」
高校生たちに60年前のことを語っているのは、新垣ハルさん。(91歳)ハルさんは息子の晃さんをある事故で亡くしました。その事故が「宮森小学校 アメリカ軍機墜落事故」。
1959年、6月30日。それはミルク給食の時間でした。操縦不能となったアメリカ軍のジェット機が、市街地に墜落。周辺の住宅をなぎ倒し、校舎に突っ込んだのです。事故では200人以上がけがをし18人が亡くなりました。(1人が17年後後遺症で亡くなる)
2年生の教室にはハルさんの息子、晃さんもいました。晃さんは全身の45%にやけどを負い、17年後、25歳で亡くなりました。
新垣ハルさん「こんな短い命でよ、かーちゃんにとても良くしよったよ。何もさせなかった、自分でしてから。かーちゃん、かーちゃんしてよ」
あの悲劇から60年のことし。北谷高校の生徒たちは、事故をテーマにした劇を上演することにしました。2年生の久保田佑さんは、ハルさんから直接聞いた一人です。
北谷高校2年久保田佑さん「この事件で大やけどを負い、何年もの間、後遺症で苦しんだ人もいた。先生・・・水・・・」
ハーフセンチュリー宮森 比嘉雪乃さん「(もっと)内からでるものでやってみたのも見て見たいな46」
指導しているのは、10年前、この舞台を始めた「ハーフセンチュリー宮森」のメンバーです。
ハーフセンチュリー宮森 比嘉雪乃さん「昔この沖縄でなにがあったのか、(若い世代が)知って、考えるきっかけになればと思っています」
比嘉夏香さん「おじいはどうやって乗り越えてきたの?」比嘉夏香さんはおじいから事故の話を聞く孫の役を演じます。
久保田佑さん「苦しんだ晃君をイメージしてたんですけど、こんなじゃないですかね」比嘉夏香さん「ハルさんの気持ちに寄り添えるようにやったほうがいいと思うけど」比嘉夏香さん「今はたくさん模索しよう、一緒に」
新垣ハルさん「若い子みたらこんなして泣くからよ。ごめんね、晃。」
久保田佑さん「思っていたよりも思い話だった」比嘉夏香さん「大事にしていた息子が一瞬でなくなったら、どんな気持ちなんだろう、母親になる立場として、すごくつらいだろうなって」
証言のひとつひとつに向き合い葛藤を繰り返して形になった舞台。生徒たちはどんなメッセージを伝えるのでしょうか。
語り継ぐぞ~お~!円陣。宮森小学校アメリカ軍ジェット機墜落事故から60年。舞台の本番が近づきます。
久保田佑さん「昨日緊張して寝られなかったんですけど、気合を入れ直したので大丈夫です」
比嘉夏香さん「一人一人が本気で頑張ってきたので、それが伝え切れたら全て成功なんじゃないかなと思っています」
開演。
「思い出したくもないかもしれないけど、あの時何があったか、私たちのためにも、教えてくれないね?」「あの日のこと忘れたくても忘れられないさ」大けがを負いながらも母親を思い、ひたむきに生きた晃さんの姿もよみがえります。
混乱の声「あきら!あきら!」久保田佑さん「先生、水、水がほしいよ、。大やけどをしたあの子が助かった。そして、陸上に打ち込んで、将来、先生になるんだ、と頑張っていた。しかし、事件が15年もたったあと、後遺症でこの世をさり、夢をかなえることはなかった。」
事故の一報を受け、取り乱す親たち。比嘉雪乃さん「変わり果てたあの子の姿に、立っていることはできなかった。」「パイロットはパラシュートで逃げて、無傷だった?自分の命は守ってウチナーンチュの命はどうでもいいのか?」
そして舞台では、この事故が決して過去のことではないと伝えています。
群読「沖縄国際大学、米軍ヘリ墜落事件」「今度は浦西中学校に米軍ヘリの部品が落下した。なくならない事件、おわらない悲しみ。」「私たちは気付いている、あの音と向き合わなくてはならないことを。」
事故を目の当たりにした人「生臭い、石油と人の焼け焦げた匂いと、担架で運ばれる・・あの光景が60年経った今でも、そのまま残っています。」
生徒「今起きてもおかしくないことじゃないですか、やっぱり悲惨だなあって、なんとも言えないです。」
高校生たちが向き合った60年前の事故。
比嘉夏香さん「自分が、次に高校生とか、友達に伝えないといけないんだっていう責任感みたいなのはまた感じて。」「次の平和学習にもつなげていけたら。」
舞台を通してよみがえる事故の記憶。残された家族の60年の思いをどう伝えていくのかがこれからの私たちの課題です。
宮森小学校では、きょうも児童たちによる慰霊祭が行われましたが、事故あった6月30日、今度の日曜にも一般の人が参加できる慰霊祭が執り行われます。