Qプラスリポートです。沖縄戦のさなか、古宇利島沖に沈んだアメリカの軍艦「エモンズ」と日本軍の特攻機。日米の戦闘で亡くなった一人の青年大尉を忍んで、彼が眠る、海底40メートルの海から、砂を持ち帰ろうと試みた男性がいます。74年という時を超えた、一大プロジェクトに密着しました。
岩﨑順哉さん「沖縄に行ってきたよ」
母・潤子さん「あ~本当…」
92歳の母親に手渡したガラスのビン、息子の岩﨑順哉(いわさき・じゅんや)さんが、先週、沖縄の海から持ち帰ってきた”砂”です。
母・潤子さん「ありがとう」
そこには”74年越しの思い出”が一緒に詰まっていました。人気の観光スポットで本島北部に位置する離島”古宇利島”島から北に数キロ離れた海、潜ってみると…
水深40メートルの海底に横たわる不気味な鉄の塊、アメリカの軍艦「エモンズ」です。狙いすましたように海面に向かって延びる大砲、船体に残る朽ち果てた不発弾が74年前の沖縄戦を物語っています。全長100メートル、250人が乗り込んでいたエモンズは日本の特攻機に攻撃されて航行不能になった後、機密漏洩を恐れたアメリカ軍によって海に沈められました。
この戦闘で、半数以上の乗組員が死傷、26機の日本の特攻機が沖縄に飛び立ち海に散りました。エモンズと特攻機に縁のある人物、それが岩崎さんです。母親のためにとやってきました。
岩﨑順哉さん「戦争中に知り合った特攻隊員の方が戦艦(エモンズ)と一緒に沈んでいると情報を聞いてですね、何とかその近くの砂を海底の砂を母親に届けたいと…」
岩﨑さんの母・潤子さんは、戦時中、群馬の伊香保温泉に集団疎開しました。そこで、エモンズに特攻する部隊をまとめる住田乾太郎(すみた・けんたろう)隊長と知り合ったと言います。
岩﨑順哉さん「淡い、淡い恋心だけだったと思います、お互いに。出撃するまでの1週間か10日くらいのことだったんじゃないかと思います」
住田隊長は母・潤子さんにとって、初恋の相手でした。戦争が終わった後も家族と30年以上交流していたといいます。母の大切な思い出を形にしてあげようと岩﨑さんは住田隊長が眠る古宇利島の海に潜って砂を届けようと決意しました。
2000年にエモンズが古宇利島沖で発見されて以降、現場の調査を続けているダイバーの杉浦武(すぎうら・たけし)さん。2018年、ダイビングのサポートをしてほしいと岩﨑さんから相談を受けました。
杉浦武さん「ぜひ、協力したいと思いますし、サポートしてあげたいなと素直に思いましたけどね」
ダイビングの上級者しか行けないエモンズさらに深い所に眠る特攻機を目指して、岩崎さんと杉浦さん二人三脚のトレーニングが始まりました。プールでの練習に始まり、流れのある海に出て実践練習。そして、古宇利島の海では、水深40メートルの世界に慣れるため2日間トレーニング漬けでした。
杉浦武さん「前回から間が空いちゃったんですけど落ち着いて潜られていたんで、とても安心しました」
岩﨑順哉さん「初めて(エモンズが)沈んでいる姿を見たんですけど、ここで戦争があったんだなと(感じた)」
目的の特攻機に潜る前に神社で安全を祈願しました。
護国神社・加治順人宮司「当時をしのんで、戦没者の思いを受け止めようということで、鎮まりくださいという気持ちを届けていただければ」
母の思い出を持ち帰る、その日がやってきました。まだ薄暗さが残る朝5時すぎ、いよいよ、古宇利島に向けて出発です。
岩﨑順哉さん「いよいよだなっていうところですね。これまでやってきたことが実ればいいなっていうところです」
遠ざかっていく橋を背にうねる波に揺られながら島の北側およそ2キロのポイントへ、かつて、特攻機に載った青年たちが最期を遂げた場所です。水深40メートルの海底へ一直線に進んでいきます。
目の前にあらわれた特攻機のエンジンは…想像していた無機質な姿ではなくサンゴがびっしりと群生し、大きく姿を変えていました。戦争の爪痕と自然の共生が74年という歳月を感じさせます。目的を果たした岩崎さん、母の初恋の人が眠っているこの海で砂を持ち帰ることができました。
岩﨑順哉さん「砂、取れました」
岩﨑順哉さん「本物の特攻した飛行機の残骸といいますか、見るとやっぱり心がすごく動きました。もしかすると母の知り合いの1機だったかもしれないというところで込み上げてくるものがありました」
杉浦武さん「責任果たせてほっとして、本当に良かったです」
岩崎さんは静かに持ち帰った砂をじっ見つめていました。
あれから2日、東京に戻った岩崎さん、母に74年前の思い出が詰まった砂を手渡すことができました。
岩﨑順哉さん「(母の)思いを形にしたくて…自分なりにやりたいことができて良かった」
母・潤子さん「住田さんっていう人がそこへ行って戦死したからね。その場所に行ってくれたということが一番うれしいわね」
海底40メートルに眠るエモンズと特攻機、物言わぬ戦争遺産は戦争の時代に翻弄されたかつての若者たちの記憶を呼び起こしていました。