「ぼくは1年前ぐらいに学校に行かなくなりました。家でユーチューブをアップしたり」「全然不幸と思いませんでした。むしろ、楽しかったです」
「10歳のユーチューバー」「不登校は不幸じゃない!」
こんにちは、ここからはQプラスです。ご覧いただいたのは今、インターネット上で話題の10歳のユーチューバーゆたぼんの動画です。
不登校の少年の発言に今ネットでは「あまえだ」などと厳しいコメントもある中、なぜ少年が不登校になったのか、そしてユーチューブで何を叫んでいるのか本人、そして両親に話を聞きました。
「ハイサイ、まいどー!」元気良く「ハイサイ、まいど」のフレーズでスタートするこの動画の主人公は… 自己紹介で名刺を出す「少年革命家・ゆたぼんです!」
「少年革命家 ゆたぼん」として活動を続ける10歳の少年ユーチューバー・中村逞珂(ゆたか)くん、大阪に生まれ、今は宜野湾市に住んでいます。
ユーチューブより「きょうでゴールデンウィークが終わるけど、学校に行きたくない子は行かんくていいで」学校に行きたくないと悩む子どもやその親たちを励ますメッセージを発信し続けています。
ユーチューブより(5月5日公開)「子どもは学校に行く権利はあるけど義務はない。親もそう、子どもが学校に行きたいって言ったら行かせる義務はある。でも、子どもが学校に行きたくないって言ったら無理矢理行かせる義務はない」
反対意見「義務教育って知ってる?」「不登校をブランドみたいに使うな」強い言葉は賛否両論を巻き起こしています。
「行きたくなければ行かなくていい」ゆたぼんがそう叫ぶのは彼自身の〝不登校〟の体験だったのです・・・
「書くことだけが勉強じゃないから」「まわりの子たちがロボットに見えたからで…
今話題の10歳のユーチューバーゆたぼんが学校に行かないと決めたのは小学3年生の時…
中村逞珂くん「オレは宿題がやりたくなくて、宿題をやめて先生に〝やってきなさい〟と言われたけどオレはやりたくないからやらなかった」
学校での宿題をめぐるトラブルから先生に抱いた不審・・・そんな時、ゆたぼんが見た教室の景色とは。。。
中村逞珂くん「まわりの子たちがロボットに見えたからで…なんでロボットに見えたかと言うと、先生と親の言うことを黙ってハイハイと聞いて…」
先生の言うことに従うクラスメイトがまるで心のないロボットのように見えてしまったゆたぼん。このまま学校に通い続けたら〝自分もロボットになってしまうかもしれない〟そう思ったと言います。
また、この頃、友人が学校でいじめに遭い、〝死にたい〟と口にしていたことも学校に行かないという決断を後押ししました。
中村逞珂くん「友達からおまえだけずズルいな、セコいなって言われて…」「(友達が)宿題やらんヤツとは遊ばへんって言ってきて」
そんな、ゆたぼんに心強いエールが…
茂木健一郎さん「中村君っていうのが那覇に来てて、学校に行かないでユーチューブやっているっていうのが…大炎上しているわけですよ。学校行かないなんてとんでもないって」
脳科学者の茂木健一郎さんは「学校に行くだけがすべてじゃない」学びの場は学校以外にもたくさんあると子どもの可能性に言及しました。
茂木健一郎さん「価値があるものが何かって、勝手に決めてませんか?」「学校に行くことだけが価値だって思っていたら学校に行かなかったら、苦しくなるでしょう」
そしてゆたぼんの可能性を誰もよりも信じたのは 両親でした。
父・幸也さん「子どもだって、自由に選ぶ生き方があって、子どもを1人の人間として見ないといけないよっていうのをおっしゃられてたんで」「自分が世間からどう見られるかとか、そういうのを気にして、子どもを犠牲にしなくて良かったなと思いましたね」
ゆたぼんの活動は今、ユーチューブ以外にも広がっています。
ラジオの冒頭「こんにちは~、少年革命家・ゆたぼんです」きのうは南城市のコミュニティラジオに親子で出演しました。
歌を歌う「どこまでゆくのかわからない~ 果てしない道を歩く」
母・みちよさん「私の中でも葛藤があって、学校には行ってほしい。でも、学校に行かせてしまったら、この子は壊れてしまうと思ってしまって…」「(子どもが)元気に生まれてきてくれたらそれでいい、命さえあればそれでいいとしか思わないと思うので…そこにたどり着いたという時点なんですね、そこでようやく、受け入れようって、ゆたかくんの気持ちを尊重しようと思えた」
父・幸也さん「本当に子どものことを思わないで自分たちのことを世間体とかそういうことを気にしていたら後悔していたんじゃないかなと思います」
歌「こんな寂しい世の中でも、僕は笑顔で歩きたい道がどんなに険しくても、僕は希望を握りしめる」
誤解しないでほしいのは、ゆたぼんも両親も不登校を勧めているわけではありません。何らかの理由で学校に通えなくなった子どもに、無理強いしてしまい、子どもの心が壊れてしまうよりも子どもの生きがいを共に見つけたい。そんな思いを共有している親子だった。