ベトナム戦争での凄惨な体験を、沖縄や日本各地で命尽きるまで語り続けた1人のアメリカ人がいました。彼が残した平和への思いとは、何だったのでしょうか。
石川県加賀市にある由緒ある寺・光闡坊(こうせんぼう)。本尊の裏に一人の男性が眠っています。
アメリカ人のアレン・ネルソンさん。ネルソンさんは、かつて沖縄のキャンプハンセンからベトナム戦争に従軍した元海兵隊員です。
ネルソンさん「私はベトナムで何人もの死を見ました。私はベトナムで、本当の戦争は映画と違うのだと知りました」
ネルソンさんは戦後、自らの戦争犯罪を告白し、日本国内はもとより、世界中で戦争の愚かさや平和を訴え続けました。
この日は、ネルソンが亡くなって10年の法要。アメリカにいる彼の家族をはじめ、交流があった沖縄からも仲間たちが集まりました。
アメリカから来た家族と抱擁するのは、沖縄から駆け付けた宜野座映子さん。ネルソンさんの親友でした。
宜野座映子さん「アレンの本当にまっすぐな魂の言葉を受け止めてくれる仲間がここに一同に(居て)。アレンが呼んでくれたなと、素晴らしいなと。来てよかったと思っている」。
佐野明弘住職「アレンさんは、私のような者を二度と生み出してはならない。子どもたちを戦場に送ってはならないと、その命を尽くし、生涯をかけて、語り続けられました」
ネルソンさんが見た戦場は地獄そのものでした。1960年代から泥沼化したベトナム戦争。著書にはななまなしい様子がかかれていました。
(ネルソンさんの著書より)「炎に包まれる村の家々、恐怖に満ちた叫び声、あちこちに人々が倒れ、血を流したり、手足が千切れたりしています。私はとてつもない恐怖に襲われ、張り裂けるような声を上げます」
ネルソンさん「キャンプハンセンの上官は聞く、お前たちは何がしたいのかと。すると私たちはできるだけ大きな声で、ライオンのような声で叫ぶ。殺すんだと」
戦場から生還したネルソンさんでしたが、その体験は、彼の心をむしばんでいました。戦後も長く、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しめられたのです。
妹のマーシャルさんは兄、そして家族の苦悩を語りました。
妹・マーシャルさん「彼は自分のミッションを持って、日本で語る活動をしていたと思います。そのミッションを通して、自分が戦争でしてきたことを変えたかったんだと思います。それは戦争への参加、PTSD、様々な問題や家族を分裂させたことです。母は、兄が依然知っている人じゃなくなって帰ってきたことに落胆しました」
法要には、ネルソンさんと同じ時期、軍隊にいた女性も参加しました。元国務省外交官で陸軍大佐のアン・ライトさんです。ライトさんは、戦場から帰ってきた兵士たちが酒や薬におぼれたり、自殺してしまうことがアメリカ社会でも深刻なっていると指摘しました。
アン・ライトさん「600人のイラクアフガニスタン戦争帰還兵は14%がPTSD、39%はアルコール依存症です。近年の調査で明らかになったのは帰還兵の自殺率は想像より高いこと。今や年間5000から8000人が、1日に22人が自殺しています。アレンネルソンの生涯が私たちに示すのは、戦争の犠牲者や犯罪者にとって、いかに戦争の人的または心理的代価が莫大かということです。これらの統計は、戦争をやめ、外交手段を用いて対立を避けることを示しています」
ネルソンさんが亡くなって10年。彼は今も私たちに語りかけています。
ネルソンさん「ベトナム戦争のことを話すのは、とても苦しい。みんなに話すのも苦しいん。それはもう抑えられない恐怖だ。でも、ある日気づいた。子どもたちに伝えなければならないと。私の話を聞いて、一人でもいいから、戦争がだめだと考えてくれたらよい」
沖縄から参加した宜野座映子さんは、最期までベトナムの人のことを気にかけていたネルソンさんの遺志を継ぎ、ベトナムの子どもたちに奨学金を届ける活動を行っています。10年間でおよそ600人の貧しい子どもたちに奨学金が贈られているということです。