きょうからスタートするシリーズ「平成から令和へ」平成という時代が沖縄にとってどんな時代だったのかそして次の令和の時代に繋ぐものは何かを考えます。
第1回は平成の県政を担った県知事の姿から平成の時代の沖縄を見ていきます。現在の玉城知事に至るまでご覧の6人が平成の沖縄を背負った知事でした。これらの知事の政治課題に対する対応やその時代背景、これからについて専門家に話を伺いました。
沖縄返還やアメリカ軍基地をめぐる日米関係について研究している沖縄国際大学の野添文彬准教授。
沼尻キャスター「Q.平成の時代というのは沖縄県政にとってどんな時代だったんでしょうか」
沖縄国際大学法学部野添文彬准教授「沖縄にとって平成の時代というのは日本政府との関係において非常に厳しい時代だったと思いますね沖縄側から見ると一貫して日本政府であったり本土側に対して基地問題について“異議申し立て”を一貫してやっていったそういう時代だったと思います」
沖縄にとって平成は日本政府や本土に対する「異議申し立て」の時代だったと話す野添准教授。その背景には平成の30年間に高まっていった沖縄の県民感情があるといいます。
ここからは取材した沼尻キャスターにも入ってもらいます。
沼尻キャスター「はい、野添准教授は平成について「異議申し立て」の時代と話していましたがその背景には沖縄の「怒り」「失望」「自信」の3つがあったと分析しています。」
沼尻キャスター「1つは今も変わらぬアメリカ軍基地の過重負担、それにともなう事件や事故に対する「怒り」その後民主党政権の誕生に一時期待が高まったわけですが結局何も変わらず「失望」につながり自分たちで声をあげるしかないという思いにつながっていったと野添准教授はみています」
沼尻キャスター「一方で、沖縄がこの平成の間に「自立」してきたことが大きいとも指摘していました。特に「経済」の発展というのがこの30年間は大きかったですよね。アジアとのつながりの中で経済発展を遂げ去年の入域観光客数984万人と6年連続過去最高を更新しました」
沼尻キャスター「沖縄が「自立」し「自信」を深めたことで日本政府に対してものが言えるようになってきたわけですね。このような時代背景の中で6人の知事は政策を行ってきたわけですがその中でも2人の知事の存在が大きかったと野添准教授は分析しています」
沖縄国際大学法学部野添文彬准教授「1人大事だったのは大田昌秀知事だったと思いますね。大田昌秀知事というのは1995年の少女暴行事件を受けて沖縄県民が基地の過重負担に対して一斉に反発した時の知事だったわけですね。この時は沖縄の保守と革新を越えて沖縄はひとつになって日本政府・本土に反発の声を上げていくということをやっていたわけですけどまさにオール沖縄のさきがけのような存在だったと思います」
沖縄国際大学法学部野添文彬准教授「もう1人大事だったのは翁長雄志知事ですね。調整保守政治家であっても辺野古への普天間基地の移設には反対するとここからはもう沖縄側としては譲れないんだということを示して、沖縄として一丸となって日本政府、本土に対峙していくという姿勢を見せたというところでまさに平成の時代、沖縄が本土に対して異議申し立てをしていくということを象徴するような政治家であったんではないかと思います」
保革も壁を越え、沖縄がひとつとなって日本政府に「異議申し立て」をしてきた平成。その一方で、玉城知事の誕生は新たな時代に向けての「変化」の必要性が表れているとも言います。
沖縄国際大学法学部野添文彬准教授「玉城知事は沖縄が抱える問題は基地問題だけではないと貧困の問題も大事だと選挙戦でも前面に掲げていましたし、最近の報道でもあった通り基地問題よりも貧困ということに人々の関心は高まり始めているということの中で基地問題以外にもいろんな課題が沖縄社会にあるということを人々が考え始めたことなんだと思います」
沼尻キャスター「Q.令和の時代に求められる知事像というのはどういうものなんでしょうか」
沖縄国際大学法学部野添文彬准教授「多様な問題をいろいろつなげてパッケージとして問題解決に当たれるようなそういった県知事像が求められているんではないかと思います」
沼尻キャスター「社会が抱える問題も多様化していく中で幅広く目配りができ、対立や社会の分断を乗り越えられる知事が令和の時代に求められると野添准教授は話していました」
ここまでシリーズ「平成から令和へ」でした。