こちらは、きょう渡嘉敷島で行われた慰霊祭の様子です。渡嘉敷島では、74年前のきょう集団自決によって330人が犠牲になりました。この時、生き残った当時12歳の祖母の記憶を、映画にした女性がいました。
映画 自決のシーン「早くしないと・・・」
1945年、渡嘉敷島で起きた集団自決を描いた映画「おもいでから遠く離れて」。監督したのは西由良さん。戦争を知らない世代です。西由良さんの祖母・玲子さんが74年前のきょう体験した記憶を描きました。
西由良さん「戦争の話を聞ける最後の世代、私たちが戦争の記憶を忘れないで誰かに話して伝えていく、次の世代に伝えていくっていうのが大切かなって思うのでそういう気持ちで作りました」
父・新城和博さん「今回のやつは家族のお話しなので僕が母親から聞いて、一緒に、彼女からしたらおばあさんなんだけど、おうちでなんかそういう話しするじゃないですか、その中で印象深かったということで」
沖縄の出版社に勤める新城和博(かずひろ)さんを父に持つ由良さん。高校生の時からシナリオを温め、3年かけて映画を完成させました。祖母から父、そして由良さんへと語られてきた集団自決の記憶をどのように描いたのでしょうか。
上映会にはSNSで映画を知った人や渡嘉敷島の人々がやってきました。
西由良さん「少しでも何か感じて頂けたらうれしいなと思います。上映始めたいと思いますよろしくお願いします。」(拍手)
浜辺を歩いたり、石で遊んだり、学校に行ったり・・・(御真影に礼のシーン)当時11歳だった、祖母・玲子さんの目線で描かれる映画の8割は子ども時代の日常。しかしその日常が一変します。ある日、島民たちは島の北側にあるニシ山へ集まるよう言われます。集団自決のためでした。
1945年、3月27日、アメリカ軍は前日の座間味島に続き渡嘉敷島に上陸。地獄の沖縄戦の始まりでした。祖母・玲子さんたち渡嘉敷島の住民は3月28日、島の北端にあるニシ山へと追い詰められたのです。
渡嘉敷島ウェブサイトより「手りゅう弾、小銃、かま、くわ、かみそりなど持っている者はまだいい方で、武器も刃物ももちあわせのない物は、縄で親兄弟の首を絞めたり、首を吊ったり、この世のできごととは思えない凄惨な光景の中で、自ら命を絶っていったのです。」
「りょうこ、あの世に行っても元気に学校いくんだよ」「あの世に学校なんてあるか」
あの世に学校なんてない。映画の中のこの少女が、由良さんの祖母・玲子さん。玲子さんの言葉で一家は集団自決の場所から逃れることができました。
いちゅびぐゎーの歌、泣いている観客(拍手)
映画をみた人は「大人は国の方針に従って命を絶つことしか考えなかったけど、何も知らない子どもたちの勇気のおかげで生き残った人たちが今の日本を平和な国にって一生懸命、亡くなった命の分を平和のために使う。私たちも、戦争は知らないけれども若い人たちに受け継いでいくために平和のことについての活動は自分たちの責任として、義務として、できるところを精一杯やっていきたい」
男性「今の子どもたちとかに見せても共感するような部分とかあると思うし、日常と非日常がないまぜになっているところが感じられる作品なのかなという感じがしました」
渡嘉敷島の集団自決を経験した女性「家族全員囲んで父親が手りゅう弾を叩いて、爆発して自決、っていう場面を味わってきましたから」「平和を願う県民のみなさんにその場面を100%伝えられるような方法があったらいいのかなと思って、こういう若い子どもたちがそういう課題を取り上げて頑張っているということはとても感動しました」
祖母・新城玲子さん「よくできた(と思った)」
西由良さん「おばあちゃんが、あの時逃げてくれたから父が生まれて、私が生まれてきて、今幸せにくらしているんだよって、ありがとうっていう気持ちを一番伝えたかったです。(伝わった?)伝わったんじゃないかと思います」
新城さん「自分が聞いていた家族の物語がビジュアル化されるというのは不思議な感じですよね。初めて見るけど、昔から知っていたことみたいな感じで。非常に感慨深いものはありました」
西由良さん「どんな風にしていったら戦争の話をしてくれる人がいなくなっても残っていくんだろうっていうはすごい感じますね。」「自分が聞いたことある話をまた他の人に話してっていう風にどんどん繋がっていくと思うんですけど、戦争の記憶とかどこかで聞いたことを忘れないでずっと、悲しい記憶なんですけどそれを覚えていて、平和を願い続けるというのが大切なのかなと思います」
12歳の少女の悲しい記憶を次の世代が繰り返し「思い出して」いくことの大切さを映画は静かに伝えていました。
当時12歳だった祖母の目線で描かれた映画には唯一、当時の時代背景として、天皇の写真、ご真影を拝む場面が出てきます。子どもたちにとって、戦争は突然やってきた記憶ですが、当時の軍国主義の教育が、住民を死に追いやったことをうかがわせる場面でした。