90年前、京都の研究者らによって沖縄から持ち出され、台湾で保管されていた遺骨63体が、今週沖縄に返還されました。しかし、遺骨をめぐっては様々な問題が残っています。
18日、台湾から届いたダンボール箱。この中には63体の遺骨が入っています。遺骨は1929年、京都帝国大学(現在の京都大学)の金関丈夫助教授によって今帰仁村の百按司墓から持ち出された第一尚氏時代の貴族の遺骨とみられています。
金関は自身の著書でこう述べていました。「完全で良質の頭蓋15個、頭蓋破片十数個、躯幹四肢骨多数を得た。こうして作り上げた大風呂敷包み数個、これを山から運び下すのが大変であった。一切自分一人の仕事だから苦しい」
遺族にも知らされず、研究目的で持ち去られた遺骨。返還を求めて台湾大学と交渉してきた龍谷大学の松島泰勝教授は「台湾から帰ってくることに関しては非常に喜ばしい、うれしいとウチナーンチュとしては思います」と話しました。
しかし、返還された遺骨をめぐっては、新たな問題も生じています。県教育委員会はこれらの遺骨を文化財として保存する方針です。
これに対し、松島教授は「台湾から戻ってきた琉球人遺骨は県埋蔵文化財センターにあるわけですがこれは研究用として今後利用される予定なんです。遺族にとっては元ある場所に返して手を合わせたいという遺骨なんですか研究対象としてみる、そういう認識、モノとしてしか扱わないという冷たい対応は非常に残念です」と指摘しています。
このほかにも百按司墓から持ち出された遺骨のうち26体が今も京都大学で保管されていますが、返ってくる見込みはありません。
松島教授は「京都大学は2年ほど前から交渉したが一切質問にも答えない、返還どころじゃないんですね。それで去年の12月に裁判で訴えざるをえなかったわけなんです」と言います。
2018年12月、松島教授たちは京都大学を相手取り、遺骨を返還するよう訴訟を起こしました。遺族の亀谷正子さんは「人様の先祖の骨を奪うのは、犯罪行為じゃないかと怒っていますし。この際、私の祖先を返してもらって、平穏を与えてほしいと思っています」
また玉城毅さんは「そこで拝みをしていたんですけれども、骨が無くなった所で、私は拝みをしていたと。何という空しい気持ちになったかということですね」と話しました。
90年経ってもまだ古里に帰れない遺骨。一方で、返されはしたものの、遺族が手を合わせることすらできない状況。遺骨をめぐる問題は解決していません。