先月、沖縄の戦後を舞台にした小説「宝島」で直木賞を受賞した作家、真藤順丈さん。受賞後、「宝島」が書店で消えてしまうなど話題は続いていますが、きのう、真藤さんが那覇市内でトークショーを開きました。
そして、QABの独占取材にも応えてくれました。真藤さんが描いた「宝島・沖縄」とは何だったのでしょうか。
比嘉記者:直木賞受賞おめでとうございます。授賞式の時とだいぶ印象が違うなと思ったんですが…?
真藤さん:そうですか?同じ服ですけど?
比嘉記者:大事な時にはこういうスタイルと決めている?
真藤さん:僕もかりゆしウェアとか着たいんですけど、編集者がこれで行けって言うから(笑)
ユーモアを交えながらこう話す真藤さん。「宝島」の執筆は、7年の時をかけた挑戦でした。真藤さんが、「戦果アギヤー」をテーマにした理由は?
真藤さん:戦後日本の青春時代というものがそのころの沖縄にあったんじゃないかと、そしてそのころの沖縄を象徴するものとして戦果アギヤーというものを中心に添えた。
真藤さん:生きていくたくましさや抑圧に立ち向かう力強さ、明るさ、境界線を越えて生きて帰ってくるという生命力、そのあと宴会してヌチヌスージ(命拾いの宴会)をやるという人間くささみたいなところ、そういうものをすべて戦果アギヤーに仮託していった。
比嘉記者:ただ3回しか沖縄には来ていないんですよね?
真藤さん:してないですね。執筆・刊行にいたるまでは。「俺だってもっと言ってるわ!」ってよく言われますね(笑)自分の仕事場じゃないと執筆できないんです。自分の仕事場で資料や本に囲まれてじゃないと書けないので、やっぱり物語の中に入っている時間は自分の仕事場にいないといけない。
真藤さん:沖縄の小説や、回想録、警察の記録など手に入るものは現地の図書館などでコピーしたり、積み上げてですね。仕事場でいろんなところで雪崩が起きています。資料が、整理しきれない。
真藤さん:資料やフィールドワークというのが一番大きいんですが、自分がその時代に、その時の沖縄人になって生きてみるという感覚が強いですね。その時代に自分を一度おいてみる、自分の感覚を通して風景描写やできごと、リアクションを書いていく過程を積み重ねていくと厚みが増してくるんです。
また、24日に迫った県民投票について、真藤さんはー
真藤さん:自分の意識として強いのは、ずっと基地とともに生きてきた人たちはどっちも簡単には言いえないよなと、だから「どちらでもない」が出てきたと思うんだけども、まず投票に行って賛成か反対かというのをそれぞれの方が信じたほうに入れていただきたいというのは僕の願いとしてあります。
真藤さん:その結果を受けて日本全体で議論していこう、できることは動いていこうという意識はあります。
真藤さん:すぐには変わらなくても少しづつ声を上げていくことによって、意思を可視化していくことによって、世の中が変わっていったという時代を書いた小説なので、そういう時代をそれなりに調べて執筆しつくしたうえで思うのは、少しづつ変わっていくんだろうなという。ぼくは小説家なので、物語の形で、立っている領域から風を吹かせていければなと思います。