特集です。24日の県民投票まで、きょうであと9日。先日、徳島県から「沖縄を応援したい」と、かけつけた人たちがいました。およそ20年前、「誇りに思える」住民投票を経験したという徳島の住民運動は政治を変える結果をもたらしました。果たして、徳島では、どのような住民投票が展開されたのでしょうかそして、そこから見えてくる沖縄の県民投票を考えます。
伊勢達郎さん沖縄の海をイメージしてデザイナーが作ったんですよ。先月、オリジナルのプラカードを持って沿道で訴えていた、伊勢達郎さんと、姫野英子さん。24日の県民投票を盛り上げようと、はるばる徳島県からやってきました。
伊勢さん「度々民意を出しながら(基地が)押し付けられている状況があって、それでもくじけずに民意を示して、今度は本当にこのことを問うというステージも若い方々が立ち上がったということを聞いてここはみんなで応援してエールを送りたいしサポートしたい。」
姫野さん「私たちの運動の中でも最初は結果が出ても散々でした(行政は)反映しないといいながらもせざるを得ないということはあると思います、絶対に。」
実は2人は、およそ20年前、徳島市で劇的な住民投票を経験していました。徳島市の北側を流れる吉野川。ここに1980年代、当時の建設省から堰の改築計画が持ち上がりました。老朽化や、洪水の際に決壊する恐れがあるとして、およそ1000億円をかけて上下開閉式の可動堰を建設しようというものです。一部住民が環境の悪化を懸念し反対する中進む計画。その賛否を問おうと、98年「住民投票の会」が結成され、市民たちは条例制定のための署名を募りました。
1カ月で、有権者の半数に迫る10万以上の署名が集まりましたが、計画賛成派が多数を占める市議会は条例案をあっさり否決。すると市民らは直後の市議選で議会の勢力図を逆転させます。なんとか住民投票実施にこぎつけましたが、「投票率が50パーセント以下の場合開票すらしない」といった規則が設けられるなど、条件は厳しいものでした。そこで…
伊勢さん「公開で話し合う、互いに意見を交換して学び合う、共感を広げるためにイベントを開いたりしたこのプラカードを掲げて黙って立つことをやっていたら、目で応援してくれることがあったり実際にピースサインを送ってくれたり手を振ってくれたり、それが日増しに増えていくし。」
姫野さん「反対運動ではありません。あくまでも自分たちのことは自分たちで決めるというのがキーワードなんです。」
迎えた、投開票の日。投票率はおよそ55%、計画反対が9割という結果となりました。
伊勢さん「結果が出た次の日は本当に誇らしくて「誇りです」と書いて、プラカードを持って立ったんです。そしたら僕と同じように、「ありがとう」と書いたプラカードがいっぱい並んでいたんです。」姫野さん「素晴らしい、誇らしい出来事と自覚を持っているひとり一人の人生の中で大きな意思表示。」
その後市長は反対姿勢に転じ、国へも見直しを訴え、計画は白紙となりました。
伊勢さん「僕らが成功したというよりも沖縄の人こそ誇り高いと思うんですよ、「変わらない」と言ってると本当に変わらないと思います。「変わらない」と言っている限りは本当に変わらないので、これは日本の問題なんですけどでも今回は沖縄の方しか投票できないので、自分たちは応援はしますから、でもこの件においては、本当に誇り高き沖縄県民だけなので権利を行使してほしい。」