QABアナウンサーが県内各地を歩く「お散歩プラス」今回は、沼尻アナと山城アナの名護散歩の第2弾です。
前回、名護のインディージョーンズこと岸本林さんの案内のもと始まった名護の街を巡る沼尻アナと山城アナ、3人でのお散歩プラス!
今回は、山の中から、スタートです♪
岸本林さん「みなさん、沖縄に銅山があったって聞いたことありますか?(2人)ないです。ここには、銅山跡の碑が建っているんですね。見えました」
琉球王国の時代から大正時代まで銅の採掘が行われたという「金川銅山」(はにがーどうざん)その昔、この周辺一帯を、琉球の王家が所有していたことからあるもの眠っているといいます。
岸本林さん「さきの大戦の時に尚家のいろんな首里にあった財宝の一部が、銅山の跡があります。そこに隠してあると」
山城アナ「なにが隠されているんですか?」
岸本林さん「財宝でしょうね。」
山城アナ「沼尻さん、今から探しに行きますか?」
沼尻アナ「この撮影やめて?そもそも財宝の話が出た瞬間に表情変わってるからね!」
山城アナは財宝の話しか耳に入っていないようですが、、山の中には歴史やロマンが埋まっていました。
山城アナ「古民家が見えてきましたね~」
岸本林さん「なんでしょうかね。すごい建物ですよ」
山城アナ「津嘉山酒造所」
岸本林さん「国の重要文化財の建造物です。泡盛の工場なんですね」
今からおよそ90年前に建てられた、津嘉山酒造所。国の重要文化財に、10年前に指定されたのを機に修復復元工事を開始。去年の6月、工事が完了しました。ここには、こんな歴史が残っていました。
岸本林さん「ここは、屋敷も広い、いろんな意味で建物も立派だということで、この米軍の本部になるわけね
山城アナ「ここがですか?」
岸本林さん「この部屋が今いえば、司令官室になるわけですね(場所を移動して、上側の柱のところまできて)OFFICERS QUARTERS. ようするに司令官室ですよ(2人)おお~すごい」
住宅だった屋敷は、戦後、市民の避難所として活躍しました。
そのとき(戦後)はみんなの避難所ですよみんな帰ってきて、家がないもんですからね。みんなここに一緒に寝泊まりをしていたと
山城アナ、取材で学んだことを書き込む「咲貴ノート」に記します。
咲貴ノート「戦後、市民の避難場所だった。多くの人のやすらぎの場所」
いよいよ、酒造所の心臓部、工場の見学へ!ここは、泡盛の製造が最盛期だった70年前、およそ15~6名の職人が泡盛を作ってきた場所。屋根が高く、柱が少ない、この構造は当時の技術では、かなり進んでいたとのこと!
岸本林さん「技術を残しながら、さらに建物を保存、活用していくと」
今は、従業員2人で、年に約5~6000本の泡盛を製造している「津嘉山酒造所」歴史ある味を次の世代へ、人々の思いで残された場所でした。
散歩の締めくくりにやってきたのは、居酒屋「蓬莱」
建物が戦後、沖縄の復興のために米軍が運んできた材料で作られ現在は、その貴重さから、国の登録有形文化財に指定しようという活動が行われています。
と、名護ビールで、一息ついたところで、岸本さんにお話しを伺います。
山城アナ「どうして名護にこだわるんですか?」
岸本林さん「名護は、とにかく今も昔も最高に面白い!自分はね、自分の生を受けた場所が大好きなんですよ。こん~な最高の場所はない(今後は)沖縄県ではなく、日本で1番の街づくりをっしていきたいと思ている。」
岸本さんの強い思いを感じたところで次は、山城アナが学んだことを発表する番です。
山城アナ「はい!できました。何も知らない自分が恥ずかしいということに気づいたということと、15~名護の人の思いでつないだものが多くあるんだなあという風な、名護の人の名護愛を感じた1日でした」
歴史を学び、名護の人たちの地域愛を感じた、今回のお散歩プラス。次は、あなたの街へ、いきますよ~!