三連休最終日のきょう、養豚大国と呼ばれる、うるま市ではユニークなイベントが行われました。旧正月に、大切に育ててきた豚を調理して、みんなでご馳走を味わうという「豚正月(ウァー・ショーグァチ)」を体験するイベントです。
晴れの日にも、そして人々が苦しい時も常に、沖縄の生活とともにあった、「ブタ」について考えます。
11日、うるま市で行われたイベント。その名も「ウァー・ショーグァチ体験会」。
会場では、ブタ1頭を余すことなく使った「豚汁」や、塩漬けにした伝統的な保存料理「スーチカー」などのブタ料理が振舞われ、大行列が出来ていました。
岸本早剛記者「こちらがブタ1頭をまるまる使用した豚汁です。では早速、ブタの命をおいしく頂きたいと思います。柔らかくて、豚のうまみが口いっぱいに広がって、コクのある味わいです。すっかり私の体の一部になりました。」
「沖縄の豚の歴史とブタさんの命に感謝する思いを込めて有難うございます」「おなか一杯食べます」
「ウァー・ショーグァチ」を前にした先週木曜日。料理に使うブタ1頭が解体されました。
この場は、大人から子どもへ沖縄の食文化や知恵を伝える機会でもあります。
岸本早剛記者「どんな気持ちで食べる?」
女児「有難うございます(という気持ちで)」
参加者には、ブタを育てた男性もいました。うるま市で養豚場を経営する池宮城さん。現在1000頭のブタを飼っています。
岸本早剛記者「月曜日(3日前)まで飼っていたブタに包丁を入れるのはどんな気持ちなんですか?」
養豚経営池宮城孝さん「やはり人間が食べてくれるのであればうれしいですね。死んで捨てられるより人のお腹に入ったほうが。育てたかいがありますよね。人がおいしいって食べてくれれば、ブタも生きた価値があったんじゃないかと思いますね」
ウァー・ショーグァチ体験会を主催した國場さんは、企画した意図を次のように語ります。
國場麻梨江実行委員長「昔は沖縄ではブタを正月になったら一頭潰して、親戚とか周りの人たちに分け合って食べていたんだよって、鳴き声とひづめ以外は全部分けてお料理にしたんだよ。実際その話を聞いたときに私自身は体験してないじゃないですか。体験をリアルにしていないから、もっと私自身がその体験をリアル体験することによって、まだ体験していない私や私よりも年齢の下の人たちにちゃんと伝えることができるんじゃないかなと」
さらに國場さんは、沖縄の人たちが忘れてはならないこの島と、豚の歴史についても話しました。
國場麻梨江実行委員長「いま私たちが当たり前に食べているブタは、食卓に並ぶと思うんですけど、実は当り前じゃない。今70年の時を経て私たちが当たり前にブタ肉を食べることができているという歴史を知ってもらいたいんですよ」
今から74年前の1945年。いくさで焦土と化し、食糧難にあえいでいた沖縄。ふるさとの人たちを救おうと、ハワイに移住したウチナーンチュたちが募金運動を展開し550頭の種ブタをアメリカの養豚業者から購入しました。
そして3年後。そのブタたちを載せた船は太平洋を渡り、3カ月にも上る、命がけの航海の末、沖縄に到着したのです。
ハワイから、海を越えてやって来た550頭のブタたちは、さらに3年後には、180倍の10万頭にも増え、沖縄の人々の飢えを満たしました。
実は、養豚業者の池宮城さんの父親も、ハワイから送られたブタ1頭を譲り受け繁殖させた一人です。つらい時にブタを送って、沖縄の人たちを助けてくれたハワイのウチナーンチュには感謝の思いが絶えません。
養豚場経営池宮城孝さん「肉を届けるんじゃなくて、生きたブタを届けたというのが感銘をうけますね。そういうやり方が本当の思いやりかなと思いましたね。本当のウチナーンチュの心だったんだろうなって思いがうかがえますね」
食糧難のときは沖縄の人たちを救い、晴れの日、祝いの席にも、ともにあったブタ。きょうは、そんなブタたちに感謝しながら、おいしく、その命をいただく一日となりました。