まずはこちらをご覧ください。日本に古くから存在し、現在まで残っている「在来馬」です。
沖縄には宮古馬と与那国馬がいますが、なかでも宮古馬の頭数は44頭と少なく、絶滅の危機にあります。
去年12月、そんな宮古馬を不適切な環境で飼育していたことが明らかになりました。宮古馬を取り巻く環境とは。
のびのびと暮らす宮古馬たち。この牧場では13頭が、市民の手で飼育されています。ところが、去年12月、一部の飼育者のもとでエサも十分に与えられず、やせ細り、不衛生な環境でつながれたまま飼われていた様子が週刊誌で報じられました。
なぜこんなことになったのか、市の担当課は・・・
宮古島市教育委員会 久貝春陽主事「狭い厩舎の中であったりとか、厩舎内の清掃が行き届かない状況というのは確かにあったことではありますね。もともと本来の職業を持っている方であったりとか高齢の方もいらっしゃるので。」
全国的にみると、在来馬は自治体で保護されたり、野生に近い状態で放牧されたりしていますが、宮古島では、市の任意団体「宮古馬保存会」が馬を「所有」し、飼育は市民に委託されています。それが飼育者にとって大きな負担となっていたのです。
飼育者「どうしても人件費の問題があって。今頂いている飼育料では人件費まで払っていたら赤字になってしまいますので。」
飼育者には、市と馬事協会から合わせて1頭あたり月13,000円が支払われていますが、それだけではエサ代にも足りません。また、この牧場では、長年夫婦2人で馬の世話をしてきました。しかし2週間前、夫が病気で入院したため、手も足りない状態です。
40年前から宮古馬の保存に関わってきた長濱さん。宮古馬と島の歩みを語ってくれました。
長濱さん「地域の人たちは馬と一緒に暮らしてきたから家族同様ですよ。」
かつては、宮古馬は家畜として一家に一頭はいる。そんな身近な存在でした。しかし、1976年の調査で14頭まで減っていることがわかり、保存に向けた活動が始まりました。
長濱さん「こんな大事な馬を、自分たちを助けてくれたんだけどこんなに少なくなっている、絶やしちゃいかんってね。」
1978年には市が島外から宮古馬を買い取り、2年後には待望の赤ちゃんが誕生しました。
長濱さん「一升瓶担いでいって出産お祝いをやった。みんな同じ気持ちでしたよ。宮古馬が生まれないんじゃないかと思ったけど。あの馬っていうのは30年ぶりくらいだったんじゃないかね。」
そしてこの年に宮古馬保存会が発足。1991年には県の天然記念物に指定されました。
保存活動が続いていたはずの宮古馬がずさんに飼育されることになった背景には、市町村合併(2005年)などを経て、行政の保護の手から離れたことがあげられます。
長濱さん「愛好家の愛情では長続きしないと思うんですよ。文化財ですからしかるべき行政機関がそれ相応のサポートをする。この精神が欠けているんです今は。」
週刊誌で虐待されていると報じられた馬は若手の飼育者、狩俣さんに引き取られていました。
狩俣大輔さん「(Q:引き取った馬の最初の状態は?)人間不信ですよね。全然触れないし。やっと慣れてきて。(今は)つやも出てきれいです。毎日ブラシかけるから。愛情かけたぶんだけ応えてくれるから。」
狩俣さんの本業は、サトウキビや葉タバコの栽培。忙しい仕事の合間をぬって、大切に馬の世話をしています。飼育方法などを記したマニュアルはなく、馬具も見よう見まねで手作りしています。
狩俣大輔さん「(Q:畜産の知識は?)周りのおじいとか年寄りとか聞きながらですよね。わからないことだらけです。」
狩俣大輔さん「若い人がやっていかないと残していけないよね。残すにはどうしたらいいかって話だよね。(市は)もっと関心を持って、大きいことだと思ってやってほしいね。ちっちゃいことだと思っているから。」
島で生まれ、島の人々の生活を助けてきた宮古馬。いま、その保存に向けて島の人々は、何をすべきか、真剣に向き合っています。