続いてはQプラスリポート、きょうは沼尻さんのリポートです。
沼尻キャスター「はい、私が取材に行ってきたのは認知症になっても安心して暮らせる地域づくりを目指すイベント「RUN伴」です。」「VTRに行く前にみなさんにお伝えしたいのは認知症は私たちも皆さんも誰もがなり得るものだということです。決して他人ごとではない、自分のことだと思ってご覧いただければと思います。」
認知症の人もそうでない人も同じオレンジ色のシャツを着て一緒にタスキをつないでいく「RUN伴」。認知症への理解を深めるために全国で行われているイベントでことしも北海道から日本を縦断してタスキが繋がれ先週日曜日、最終地点である沖縄で開催されました。
参加者(南城市・女性)「良かった 楽しかった(笑顔)。」
「RUN伴」には認知症当事者だけでなくその家族や医療福祉関係者、地域の人が参加しています。たとえ自分や大切な人が認知症になったとしても「1人ではない」ことを実感することができるのです。
今回2度目の参加になる仲里さん夫婦もこのイベントから力をもらっています。
仲里盛次さん「認知症にかかっている方は家に閉じこもることなく参加してほしいですね。」
当日朝、ご自宅でのマッサージ。仲里盛次(せいじ)さん。8年前に若年性アルツハイマーによる認知症の診断を受けた妻の香代子さんの介護をしています。香代子さんの生活を支えるのはもちろん、外出時には… テレビや新聞で認知症に良いと知った化粧を香代子さんにするのも仲里さんの日課です。
香代子さんへの話かけ「きれいになったよきょう走るよ みんなと一緒に。」
仲里盛次さん「(RUN伴は)仲間と一緒に歩く仲間作りですね。病を気にしない、そういう1日でありたいと思っています。」
香代子さんを通して出会えた仲間との交流や新たな仲間と出会う場となっている「RUN伴」そのスタート地点、仲里さん夫婦の隣には親子で参加する家族の姿もありました。
福山智代さん「ここまで来るにはいっぱい泣きましたし、どん底でした 人生のどん底。」
今回「RUN伴」に家族で参加する福山さん一家。妻の智代さん、娘の芽祝(めい)さんに支えられて歩くのが、真(まこと)さん。(58歳)退職時に送られたDVDの映像。元は中学校の教師で、校長も務めていていました。
早期退職となった際には関係者からこれまでの教師生活をまとめたDVDが贈られるなど、周りからとても親しまれていました。その早期退職の原因となったのが突然発症した、大脳皮質基底核変性症。現在までに治療法が確立されていない難病で、今は自力で日常生活を送ることは厳しく言葉も思うようには話せません。
福山智代さん「どん底でした 人生のどん底(それを感じるのはどんな時なんですか)主人と会話ができなくなったことですね。」
現在、医学部に通う芽祝さんにとっても父が難病にかかったことはとても大きなショックでした。福山芽祝さん「とても父のことが好きで とても父親っ子だったので親子の会話が無くなるのも悲しいなと思ったし。」
福山芽祝さん「医学部に通っているというのに父の病気について何もしてあげることができないというのが一番大きい。」その時 真さんの目にも涙が。
(お父さんにも通じているんですね)福山智代さん「色々なことがわからなくなっている中で大事なところは残っているんだと思います。」
福山智代さん「(記憶が)少なくなっていくからこそこれからの時間をもっと家族でいろんなことを共有しながら思い出を作っていく家族の歴史を増やしていきたいという思いで(RUN伴に)参加します。」
仲里さん夫婦、そして福山さん一家それぞれの思いを胸に、揃ってRUN伴をスタート。歩く距離はおよそ1.5キロ。その一歩一歩、一秒一秒がかけがいのない時間に。
仲里さん夫妻「こういうイベントがあって仲間作りをして元気をもらえる。良い汗をかいて楽しかったです。」
福山智代さん「病気になっても認知症になっても怖くないよって私たち家族3人、主人を中心に今まで通り変わりなく歩んでいけると確信した日です。」
およそ40分、まずは仲里さん夫婦がゴールへ。そして福山さん一家は…ゴール手前、家族に支えられて真さんが自らの足で歩み始めます。
福山智代さん「気持ち良いですよ。やっとみんなと一緒に歩けたなっていう最後は自力で何メートルか歩けたので」福山芽祝さん「(思い出に)一生残ると思います。」福山智代さん、芽祝さん「楽しかったです(お父さんどうでしたか?)楽しかった。」
県内11市町村でつないだタスキはいよいよ最終ゴールがある北中城村へ。全国で繋いできたランナーは認知症当事者1895人を含むおよそ2万人。このゴールは、誰もが前を向いて歩く明日へのスタートへとつながっていきます。