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太平洋戦争当時、奄美大島近海で魚雷を受け沈没した「嘉義丸」の生存者と、当時その看護にあたっていた人が26日75年の時を経て対面しました。
対面を果たしたのは、本部町に住む仲本康子さんと、奄美大島出身の金城テルさん。仲本さんは、3歳だった1943年5月、家族で嘉義丸に乗り大阪から沖縄へ引き揚げる途中、米軍の潜水艦に雷撃され遭難。流れ着いた奄美大島で救助されましたが、母親を失いました。
金城さんは当時奄美大島で看護婦として遭難者らの応急処置にあたっていて、嫁ぎ先の沖縄で嘉義丸の生存者に会うことを夢見てきました。
仲本康子さん「本当に母親に会ったようなかんじがしました。お母さんが会わせてくれたのかねというかんじです」
金城テルさん「こんなに幸せなことってあるかしらと、ものすごく自分自身幸せを感じました」嘉義丸には当時約550人が乗っていて、300人以上が犠牲となっています。