30日投開票の県知事選挙、あす(27日)から「三日攻防」と選挙戦も終盤に入ります。街頭での演説だけではなかなか見えてこない候補者の人物像に迫ります。
県知事選挙には、前の宜野湾市長・佐喜眞淳(さきま・あつし)さん、前の衆議院議員・玉城デニー(たまき・でにー)さん、料理研究家の渡口初美(とぐち・はつみ)さん、元・会社員の兼島俊(かねしま・しゅん)さんの4人が立候補しています。
終盤を迎えた知事選、佐喜眞さんと玉城さんの2人が事実上の一騎打ちを展開しています。
今月10日の総決起大会で3年ぶりに胴着の袖に腕を通して空手の演武を披露したという佐喜眞さん。
佐喜眞候補「(演武の)キレは悪かったと思います。脚が今でもガタガタ震えております」
佐喜眞さんは1964年生まれの54歳宜野湾市で生まれ育ちました。スポーツが趣味で中学でサッカー、高校で野球に打ち込みました。
大学で始めた空手は黒帯の実力を持つだけでなく留学先のフランスで教えていた経験があります。
政治の道を進んだきっかけは、宜野湾市議会の議長だった父・博(ひろし)さんの存在です。
佐喜眞候補「(父が)公務中にくも膜下(出血)で倒れまして、そのまま帰らぬ人になった。その席(=父の議席)を息子としてどう考えているのというような声が聞こえましたので…」
周囲の声に推される形で選挙に出馬し宜野湾市議になりました。その後は県議、宜野湾市長と政治の経験を積んでいきました。
小・中・高時代、佐喜眞さんと同級生で宜野湾市議の宮城司(みやぎ・つかさ)さん
同級生で宜野湾市議の宮城司さん「これまでの積み重ねで、なるべくして、やらないといけない立場・時期なのかなと思います。騒音問題、危険にさらされているというところを彼も一番感じている。9万7000市民の代表として感じているところかと思います」
告示日の第一声、「市長」では実現できなかった普天間基地の問題の解決を「知事」として成し遂げたいと誓いました。
佐喜眞候補「「普天間(基地)の返還が実現できなかった。じくじたる思いでもございます。ただ、私は絶対にあきらめない」
選挙も終盤、佐喜眞さんの声は県民に届いているのでしょうか。
子どもを連れた母親「信頼できるといいますか、実行力があるなというふうには思います」
高齢女性「あまり知名度がないと思うんですよね、沖縄全体的には、今回の件では私は佐喜眞さんを応援したいですね」
ヘリの窓や部品が落下した宜野湾市。公園で行われた、お母さんたちとの対話集会で基地問題をわかりやすく話す玉城デニーさん。
1959年、旧与那城町で生まれました。伊江島出身の母とアメリカ兵だった父との間に生まれ、母親と、そして育ての親の元で育ちました。
東京の専門学校で福祉を学んだあと、沖縄に戻り、ラジオのパーソナリティーや司会などを務めます。その傍らでバンドをつくり、今も演奏活動をこなします。
玉城デニー候補「あらー雨ひどくなって、濡れないようにしてくださいね。気を付けて、こっち側にいい?よらなくて大丈夫?」
国会議員となってからも、沖縄の基地問題や経済問題を積極的に取り上げてきました。
社民党福島瑞穂副党首「普天間第二小学校や緑ヶ丘保育園に落ちるとか、いろんなことに関して一緒に本当にやってきました。すっごく温かくて、誠実な人だと思っています」
選挙期間中、那覇市の牧志公設市場を練り歩いた玉城さんに駆け寄った70代の女性がいました。以前、母親の90歳のお祝いの司会を、ホテルの勧めで玉城さんに依頼したというのです。
70代の女性「とっても細かい気遣いがあって、とっても心を打つような表現というのかな、お祝いがデニーさんのおかげでうまくできたような気がして、胸がいっぱいで、ぜひ頑張ってほしいと思って」
玉城デニー候補「平和あっての経済、そして経済あっての発展。日本政府から、アメリカから沖縄を取り戻す。ウチナ―ンチュの手に取り戻す。青空を子どもたちのために取り戻す」
知事選では、このほか、ともに無所属・新人の渡口初美さんと兼島俊さんも独自の選挙運動を展開しています。