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「ウルトラマン」の生みの親、南風原町出身の脚本家・金城哲夫さんが生前に手がけた映像作品が発見され、あすから一般公開されます。そこに込めた沖縄への思いとは。

舞台「光の国から僕らのために~金城哲夫伝~」。あさってから南風原町をはじめ、県内各地で公演されます。物語は南風原町出身で1976年、37歳の若さで亡くなった脚本家・金城さんの半生が描かれています。

ウルトラマンの生みの親 金城哲夫「古里への思い」

南風原町の実家には今も金城さんの書斎が残されています。出迎えてくれたのは金城哲夫の代名詞とも言える「ウルトラマン」の絵やポスター、人形たち…だけではなく、その横にあったのは沖縄芝居の脚本の数々です。

ウルトラマンの生みの親 金城哲夫「古里への思い」

金城哲夫さん弟・和夫さん「(沖縄に)帰ってきても、5年間ここで忙しくしていました。沖縄芝居が衰退しかけていたので、発展させたいという思いが強かったんだと思います」

ふるさと・沖縄の文化に強い思いを持っていたという金城さん。

生前には沖縄を舞台にした映像作品も手がけ、県内の伝統文化や行事、各地の風景を収めた「かりゆしの島 沖縄」は沖縄国際海洋博覧会(1975~76年)で上映され、以来、その所在がわからなくなっていましたが、おととし東京で発見。劇団民藝による公演に合わせ、南風原町であすから映像の一部が公開されることになりました。

この作品には金城さんの思いが込められていると、弟の和夫さんは話します。

ウルトラマンの生みの親 金城哲夫「古里への思い」

金城哲夫さん弟・和夫さん「沖縄にはこういう素晴らしい文化伝統芸能がありますよということ、それとどこかでヤマトンチュに負けてたまるか、ウチナーンチュ魂みたいなものを持っていただろうし。それを伝えたかったんじゃないかと思います」「わずか16分という短い時間ですので(兄は)もっと伝えたいことはいっぱいあるだろうけども、省略してやっているだろうし、よく見てくださいというところはあるんじゃないですか」

「かりゆしの島 沖縄」は27日まで南風原町立中央公民館で公開されます。

ウルトラマンの生みの親 金城哲夫「古里への思い」