さて、県内では子どもの3人に1人が貧困状態にあると言われています。今回はある角度からこの問題について考えてみたいと思います。取材にあたった比嘉記者です。
比嘉記者「はい。今回私は、ある女性を取材しました。彼女は自身も複雑な環境で育ち、今は経済的にも苦しい中、1人で子育てをしています。シングルマザーに立ちはだかる壁を取材しました」
午後1時。夜間保育園に子どもを連れてやってきたエリカさん(仮名・26歳)。
エリカさん「先生たちが結構教えてくれているみたいで、「ママ学校に行っているんだよ、勉強してるんだよ」って言ってくださっているので「ママ学校頑張ってね」って結構言ってくれます」
エリカさんは2歳と4歳の子どもを育てるシングルマザー。夜は定時制高校に通っています。夏休み期間中のこの日も、学習会に参加していました。
エリカさん「なくなく辞めているので学ぶ機会があればと思った」
エリカさんの歩んできた道は壮絶なものでした。両親の育児放棄。中学生ごろから自分で生活費を工面して生きてきたのです。
中学卒業後、一度高校に進学しましたが、働きながら両立するのは難しく退学に追い込まれました。子どもたちの父親とは結婚せず、1人で育てると決意したのには、こんな思いがありました。
エリカさん「親がいない状況で最初に育っているので子どもを産む以外に考え付かなかったというか、(子どもは)どうやってでも生きられるというのを自分が知っているので」
しかし、ひとり親世帯には厳しい現実が立ちはだかります。
エリカさん「おうちを借りるのも沖縄って身内がいないとというところが強いので住むところさえどうにかなれば生活ってどうにかなるのに行政が用意してくれる団地などには住めないし」
頼る身内もいないシングルマザーにとって家を借りるのも難しいのが現状です。エリカさんは子どもを一度児童相談所に預けてアパートを借りたあと、2人を引き取りました。しかし育児の負担などから体も壊してしまいました。
ところが障害年金や児童手当などの支援を受けようにも、手続きの煩雑さに心折れることがあるといいます。
エリカさん「関係各所似たような手続きのはずなのにいくつも行かないといけない。でも使わないとやっていけないのを知っているから行くんですけど「まだ頼っちゃダメなんだ」ってなるので「まだできるでしょ」とか言われちゃうと助けてほしい人ってたぶん声に出して「助けて」っていうのが精いっぱいだから食い下がれないんですよ」
そんなエリカさんが行政の支援を借りてでも前に進みたいと思うのは、「子どもたちに自分よりもいい環境で育ってほしい」という強い思いがあるからです」
Q(貧困の)連鎖については感じることはあるか?
エリカさん「すごく思います。大人に助けてって言えなかった自分がいるのを思ったら親が行政に頼らないでかかわる人を減らしていくと子どもたちも言えなくなるのかなって」
去年からは再び定時制の高校に通い始め、資格取得に励んでいます。それを支えるのは子育ての目標です。
エリカさん「行政の支援を受けずに一人でどうにか全部を回せるようになりたいなと思う。子どもたちが高校行くまでにちゃんと「ママ頑張ってる」と言ってくれるようにできたらなと思う」
比嘉さん、厳しい状況でエリカさんは前向きに頑張っているんですね。
比嘉記者「そうですね。今回は本音で取材に応じてくださいました。話を聞いていて、わかったのは、様々な行政支援があるとは言っても、煩雑な手続きが多いため、いざ、支援を受けようと思っても高い壁があるのが現状です。また、周りに「周りに甘えてもいいんだよ」と言われてもどこからどこまでが甘えなのか、悩んでいるとも話していました」
エリカさんのように、1人で子育てをしているという方は決して少なくないですよね。
比嘉記者「はい。県が昨年度1歳と5歳児の保護者あわせて4700人から回答を得た調査によると、ひとり親世帯は5歳児の保護者の12.2パーセントです。またこのうちの62.5パーセントが困窮を示す貧困層であることもわかりました」
比嘉記者「また、こんな調査結果も出ています。ひとり親世帯じゃなくても、低所得の人ほど
・自身も15歳の頃、暮らし向きが苦しかった
・父親の労働時間が長い
・(母親が)子育ての悩みを相談できる人がいない
という傾向にあることがわかっています。つまり、「貧困が連鎖する」ということを示しているんです」
こうした連鎖を断つためには何が必要なんでしょうか。
比嘉記者「調査に加わった、沖縄大学の山野教授によりますと、特に女性は経済的自立が難しいため、貧困の状況は女性の方に伝わりやすいということも指摘されています。また山野教授は沖縄でも、昔のように子育て支援を家族や親族に頼れなくなっている側面も指摘しています。保育をはじめ、住宅支援など、社会支援をかき集めて一本化し、誰もが利用しやすくするべきだと話していました」
ここまで比嘉記者でした。