きょうは歌う介護福祉士の女性が主人公です。なぜ彼女は歌うのか、そこには母から娘へと託されたある曲への思いがありました。
利用者「本当に私はここに来て楽しくて!楽しくて!」「本当に幸せ者ですよ!歌は上手だし、司会は美砂さんじゃないとだめ!」
歌う介護福祉士・石坂美砂(いしざか・みさご)さん。「歌は人を幸せにする」。美砂さんは「歌の力」を信じています。
石坂美砂さん「いつも歌ってないおばあちゃんが口ずさんでくれたり、笑ってくれたりすると、音楽の力ってやっぱりすごい!ちょっと大げさに言ったら天職かな!」
美砂さんの母は人気のシャンソン歌手だった石坂真砂(いしざか・まさご)さんです。美砂さんが歌の力を信じるわけ、それは、母が命を込めた歌にありました。
沖縄戦が始まる1年前の8月、戦争から身を守るために多くの子どもたちを乗せた疎開船がアメリカの潜水艦に撃沈され1482人が犠牲になった「対馬丸事件」。実はこの船に真砂さんも乗る予定でした。しかし、乗船を前に体調を崩し、別の船で疎開。
事件は軍によって「秘密」扱いとなったため、真砂さんは乗船した友人たちの死を戦後も知らないまま沖縄に戻り、初めて古里で真相を知ったのです。
美砂さん「(母は)それまでラブソングばっかり歌ってたんだけど、もうラブソング作らなくなったんですよ。その後はずっと中心は『戦争』をテーマにした歌」
真砂さんは、対馬丸の悲劇を綴った「対馬丸三部作」を作り、県内外で歌を通して反戦平和を訴えました。
♪暗い海は荒れて 深いうねりを立て 死体の山は私をとりまく…♪
この曲は「啓子ちゃん生きた」。対馬丸沈没後、漂流し生きながらえた子どもの歌です。モデルとなったのは、対馬丸の生存者・平良啓子さん。
平良啓子さん「自分が漂流している姿が見えるような気持ちがして、なんか何十年か前に引き戻された思いでね。こんなにして子どもたちが沈んでいったんだよねと気持ちが悲しくなって、だんだんと怒りがこみ上げてきました、あの歌を聞いていると。もう泣くしかなかったですよ。本当にね、心から反戦を訴えるような強い歌声で歌ってらっしゃるから、すごい歌手だなと思いましたよ
真砂さんは15年前に他界。母の遺志を受け継ぎ、今、娘の美砂さんが歌っています。
美砂さん「この歌を歌い継ぐことで、平和のバトンを若い子たちにちゃんと渡せて。聞いた時にはわからなくても、大人になった時にでもこういう歌あったなって。こういう事実があったんだよなって、どっか心の隅っこにでも留めててもらえるような感じになればいいなという思いで歌っています」
学生「改めて平和について考えることができたし、自分の命も周りの人命も大切にしていこうと思いました」「いろんな人とかいろんな楽器が組み合わせって音楽を作っていって、それがこう楽しい雰囲気だったり、逆に切ない気分になったり、平和も一人だけじゃなくて、いろんな音と人とかっていうのが積み重なってできていくものなんだなって改めて感じました」
歌で平和を訴えた母と歌で人を幸せにしたいと願う娘。歌はきょうも誰かの心に届いています。