浦添市に、事故や病気などで手足を失った人に対して、人工の手足=義肢を作る男性がいます。そして、その男性自身も義足を装着する利用者です。どんな思いを込めて義肢を作っているのか、岸本記者のリポートです。
平安裕貴さん「厚さだいたい8層から10層くらい作っていきます。それくらいしないと強度が得られないので」
平安裕貴さんは、17年前からここで義肢を製作しています。義肢の製作を担っているのは、平安さんただ一人。そのため、受注を受けてから利用者の手元に完成品が渡るまでおよそ1カ月の期間がかかります。
平安さんは高校1年生の11月、アルバイト帰りに運転していたバイクで事故にあい、右足を失いました。
平安さん「あの当時で言えば、これからどうなるんだろうというものはありはしたんですけど、足がなくなることにそこまで抵抗っていうのがなくて。その時、別に足がなくなるっていうことに対して、後悔っていうのは僕の中でなかったですね」
足を失ったときでも悲しみに暮れることなく、ありのままの状態を受け入れたといいます。そして、車いす生活から初めて義足をはいたときの思いをこう振り返ります。
平安さん「車いすで見る目線の高さと、立ってみる目線の高さってやっぱ変わるんですね。今まで当たり前に見ていたものが義足をはいたときに、その状態に戻ったっていうときは、割と嬉しかったではありますね」
高校卒業後は、美容業界での活動を目指し美容室で働きましたが、1日中立ちっぱなしの仕事に、義足となった足が悲鳴を上げ、およそ半年で退職することになりました。義足で通院する際に、現在の勤務先、砂田義肢製作所の砂田和幸さんから声をかけられ、入社を決意しました。
義足制作には、年齢や体格に合わせて何百種類ものパーツを最適な組み合わせにする技術が求められます。
平安さん「やっぱり一番その人にあっているかどうか。靴と一緒で、いかに痛くない思いをして、歩くかっていうのが一番最大なポイントなのかなと」
平安さんは義肢関連の学会に足を運んだり、メーカーの最新商品のモニターになったりと、最新の技術やパーツを取り入れることに積極的です。
この日はドイツの義足メーカーのおよそ250万円の義足のモニターになり、その感触をメーカー側にフィードバックしていました。
2014年には、全国の障害者が技能を競う大会、アビリンピックに出場し、義肢種目で銀賞も獲得しました。義足の製作者として、そして利用者として、平安さんはひと手間ひと手間に、職人としてのプライドをかけています。
平安さんをこの世界に導いた師匠でもある砂田さんは、平安さんの技術を高く評価しています。
砂田専務「自分が試してより良いものを患者様に提供できるという所が彼の強みだと思います。沖縄で義足を作るにあたっては、(平安さんが)もう一番の技術を持っていると思います」
今年11月には、沖縄県でアビリンピックの全国大会が開かれます。平安さんは今、その大会に向け、さらに技術を高めています。
平安さん「モノづくりって、完璧なものを目指していても完璧なものって出てきていないって思うんですね。自分が作ったものが恥のないようなものっていうんですか。どこの人が、どこの業者の人に見られても笑われないようなもの。すごいの作っているなって思われたほうが良いじゃないですか。そこはやっぱ目指しますね。上には上がいるので」
義足の利用者だからこそ、利用者の視点に立っての義足製作ができる職人。職人としてのプライドをかけて金メダルを目指しています。