こんにちはここからはQプラスです。今度の土日はシーミーというところも多いでしょうが、きょうはおとといに続き、シーミーの元祖、尚家のシーミー復活の物語です。そこには知らなかったシーミーの歴史がありました。
毎年伊是名玉御殿で行われる公事清明祭(クージシーミー)。
古文書にしたがってこしらえたぶたの頭やアヒル、鯛などのお供え物「御三味(ウサンミ)」。尚家の家紋が施された漆器をひとつひとつ並べれば、いよいよ儀式のはじまりです。
参加するのは第二尚氏23代当主の尚衛さんら。古文書に記されたとおりの手順で線香を手向け、手を合わせます。
ここ、伊是名玉御殿には、第二尚氏初代王の尚圓の父、尚稷(しょうしょく)らが眠ります。第3代の尚真が首里に王家の陵墓、玉陵を造り、1768年、第14代の尚穆がそこでシーミーを開始。最後の国王尚泰の命令によって、1870年に伊是名玉御殿でシーミーが初めて行われます。
ではなぜ、首里に遅れることおよそ100年、伊是名島でシーミーが行われるようになったのでしょうか。琉球史に詳しい安里さんは…。
安里進さん「(伊是名で始まる)2年前には明治維新があって琉球側から見ても日本がずいぶん激変していく。ちょうどその頃に伊是名玉御殿の清明祭以外でも首里の玉陵を風水上問題があるということで修理をしたり、中城御殿というんですがそこを移転したり色々王家も時代の波をおそらく感じ取っていたと思います。その対策のひとつとして先祖供養をしっかりやろうということで伊是名玉御殿での清明祭が始まる」
忍び寄る他の脅威に直面した王国。苦難を切り抜ける方法の一つと考えられのが、先祖を供養し導いてもらうことでした。指示書や道具の一切が伊是名に持ち込まれましたが、本当に首里同等のシーミーが行われていたのでしょうか。
安里進さん「(道具の家紋は)王家が直接やる祭祀は沈金といって格式の高い技法で描かれるんです。伊是名玉御殿のは箔絵というちょっと簡単な技法で描いているんです。たぶん王家とそっくりにはできないんでしょうね。おそらく知っていても恐れ多くてやらない、ランクを落としてやるんだろうと思う」
衣装や道具などについてはまだ謎が残ります。公事清明祭は尚圓の親族によって行われてきましたが、第22代の尚裕さんがおよそ20年前に玉御殿などを村に寄付して以来、村教育委員会が主体となって祭事を執り行っています。
名嘉教育長「(本物の道具は)痛みが見られ現在修復している最中です。それで漆器類をほとんどレプリカを一部は利用している。あたりここで公事清明祭が行われて沖縄全島の一般の清明祭が行われる。」
尚衛さん「これから一緒にやっていければ」
3日後に行われた、首里玉陵でのシーミー。そこには、息子の尚猛さんの姿もありました。
尚衛さん「沖縄あっての尚家なのでそういうことで言えば色々な形で沖縄の皆さんに何かさせていただければ、また何かしないといけないという思いが強くありますので。この玉陵での清明祭はずっと永続的に続けていこうと思っていますし私としてみれば沖縄に色々な独特の他の都道府県にない風習や文化がありますのでそれを大切に沖縄の方から発信させていただけるようになればと」
長い時を経て、琉球王国から今に続くシーミー。そこには、歴史を絶やさぬよう守り続ける人々と、忘れてはいけない、琉球の人々の先祖を敬う気持ちがありました。