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中村守アナウンサーが、町を歩いて沖縄の不思議を探す「まも散歩」です。今回は、浦添市を歩きます。

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

今回の舞台は、西海岸エリアの開発やモノレールの延伸など、近年、目覚ましい発展を遂げる浦添市!実は「琉球の歴史や文化」を語るには欠かせない場所なのです。

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

案内して下さるのは、考古学者の安里進さんと、浦添市の歴史ガイド・玉那覇清美さんです。

安里進さん「今から300年くらい前に中国の冊封使を接待するための演劇を作り出した方のお墓」

守「トンネルの上にあるんですね」

安里さん「トンネルの上にお墓を造ったわけではなく、お墓を守るためにトンネルを造って保存した」

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

ここは「玉城朝薫の墓」。幼い頃から音楽の才能を発揮し、王府の踊奉行として1718年に沖縄の伝統芸能「組踊」を生み出した偉大な人物です。

墓は沖縄戦で大きく崩れましたが、2005年に修復。実はこの墓、亀甲墓の原型とも言われているんです。

うらおそい歴史ガイド友の会・玉那覇清美さん「組踊の創始者ということで扇を模しているのではないかと」

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

守「真上を見るとモノレール、真下を見るとトンネル。本当にすごい場所ですよね」

安里さん「逆に言うと玉城朝薫の力というのは、道を何十億円もかけてトンネルにして、モノレールもルートを曲げる。いまだにそういう力を持っている人」

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

琉球王国7代目の王を務めた“尚寧王”。浦添に生まれ、25歳まで過ごしました。この道は、国王となり、首里城に移り住んだ尚寧王が“あること”をきっかけに造ったもの。

安里さん「浦添グスクに自分の先祖の位牌などがあるので、時々首里から浦添に拝みに行く。そうすると途中の道に谷間があり大雨が降ったらぬかるんで大変だということで、石畳を敷いて整備した」

守「実家に戻るために造った?」

安里さん「国王が首里と浦添を往来するのに整備しないといけない。地域の人間も喜んでくれると」

守「贅沢ですね」

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

橋は沖縄戦で崩れましたが、わずかに残っていた当時の石を頼りに2006年に修復されました。安里さんは当時、浦添市の職員として修復作業に携わりました。

安里さん「壊れたものを復元するのは、当時の人の美意識とか技術とかを再現すること。歴史が深く理解できる」「(復元作業の時は)重すぎて今のクレーンでは降ろせなかった。昔の人は人力で巨大な石を降ろして橋脚にしている。当時の技術というか人間の人力でやるすごさを実感した」

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

浦添グスクのがけの下にある「浦添ようどれ」は、琉球王国初期の王の墓。尚寧王と英祖王が眠るこの場所には、大きな意味がありました!

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

安里さん「階段を下りていく先に久高島が見える。久高島は神の島と言われている琉球最高の聖地のひとつ」「地の底に潜っていくというイメージで造られている」

守「地の底に潜っていく?」

安里さん「地の底に潜るというのは、東の彼方の地の底にニライカナイという世界があると考えている。浦添ようどれはニライカナイの世界を再現している」

細い道を抜けると、突然開ける視界。この世を去った王がかえる未知の世界“ニライカナイ”が表現されているのです。

守「大きいですね」

玉那覇さん「格子窓が付いている方が英祖王一族。「隣が第二尚氏の第7代目の王様の尚寧王の墓室。今は外側しか見ていないが、機会があれば中の様子がわかる展示が(隣接する)ようどれ館にあるので見てほしい」

墓を後にすると、そこには。

まも散歩 浦添市〜琉球王国の薫り〜

安里さん「入る時には気づかなかったでしょ。現世のこの世が開けている」「ニライカナイの世界に行って帰って行く時に、この世に帰っていくという現世が見えるように憎いまでの演出がされている」「なんくるないさーやてーげーやっさの世界ではない」

守「計算して計算して」

当時の琉球人の演出に感動したところで、今回はここまで!次回はあなたの街にまも散歩!