普天間基地所属のアメリカ軍機の事故やトラブルが相次いぐ今、去年12月の普天間第二小学校グラウンドにヘリの窓が落下した事故で憤りを覚える人物がいます。それは8年前、この小学校の元教師でずっと危険を訴えていた女性と、当時の児童でした。
下地律子さん「授業中の集中しているときのこの音が入るともうストップですよね」
いつも危険と隣合わせで授業をしていたと語るのは、下地律子さん。8年前普天間第二小学校に勤めていた教師です。
当時、普天間第二小学校では、肌身離さず常に首から下げているものがありました。それは、「ホイッスル」
何か起きたときアメリカ軍機の爆音に負けない音で子どもたちに危険をしらせようと下地さんは、いつも身に着けていました。
下地律子さん「(子どもたちは)この音を私が出したらとにかくどこへいても私のところに来なさいよっていうのはやっていました。子どもたちも高学年になるともう慣れているので音がおかしとかそういうのあがあったらすぐ言うように」
何か起こればどこに避難するかを子どもたちに話し子どもたちも普段と違うアメリカ軍機の音がしたら先生に伝えるよう話していました。
出るときは、ここから出ようねとかあそこで墜落の可能性があったらこっちにいこうねとか話は子どもたちとよくやりました。
そんな時、ホイッスルを吹かずに安心して授業ができるのではと期待が持てる出来事がありました。
鳩山民主党代表(当時)「県外移設を目指すという考え方を変えるつもりはありません」
もしそれができるのなら辺野古も助かるし普天間基地の子供たちも助かると思いました。ところが、2010年下地さんの期待はあっけなく失望へと変わりました。
政府は、県外移設の公約を撤回。直接住民に伝える説明会が開かれました。この会場で下地さんは、マイクを握りました。
下地律子さん「運動場での授業では頭上をヘリがどんどん飛んでいきます。私たちの声は届きません。しかも、これが墜落したら果たして私たち子どもたちをどのように守ったらいいのかという思いでいつもヘリを見上げています」
下地さんは、この時子どもたちが書いた手紙を総理に直接手渡しました。その数は、13通にもなりました。
ありささんの手紙の朗読「基地を移設するなら必ず沖縄じゃなくてもいいと思います。そして、飛行機が真上から通るとうるさくて集中できません」
手紙を書いた多和田有紗さん現在小学校の教師を目指している大学一年生です。
和田有紗さん「(手紙)書いて渡してくれたのは、覚えています。授業の中で移設した後どうしたいって?話があったんですけど遊園地にしたいとか夢もって」
先月の事故の映像ところが、先月起きた普天間第二小学校での窓落下事故のニュースを見て自身が描いていた夢とはかけ離れている現実に大きなショックを受けました。
和田有紗さん「怖いなーっていう思いましたね。実感ていうか。」ケガしたって聞いたときは、甥っ子じゃないのかな?っていう心配もありました。
有紗さんたちが、書いた総理大臣への手紙当時の子供たちは、安全な学校を願っていました。しかし、8年たった今も変わらない実情です
和田有紗さん「残念だなーって感じですね。普通の小学校でグラウンド閉鎖ってありえないことじゃないですか。小学校って動きたい遊びたい時期なのでこういう遊ぶ場所、部活動も制限されているのは、かわいそうですね」
今子どもたちの体育の授業がアメリカ軍の訓練で制約されています。そんな学校が日本のどこにあるでしょうか?また、事故が起こるのではないかという不安。そんな声を無視し、今もアメリカ軍機が飛び交っています。
「この空は一体だれのもの・・・?」