県出身の格闘家・砂辺光久選手。試合では闘志溢れる表情を見せますが、実はもうひとつの顔も持っているんです。
那覇市内の、とあるジム。ここに一途に「強さ」を求め、戦い続ける男がいる
砂辺選手少し練習見せて
県出身の格闘家・砂辺光久。
「ハイブリッド・レスリング」をテーマにパンチ、キックだけでなく肘打ちや関節技・締め技なども認められている総合格闘技団体「パンクラス」で3階級を制している。
砂辺光久選手「制約がないので「雄」としてのものが出ると思うんですよね。もともと人間が持っているものだと思うんですよね、「闘争本能」とか狩りをするというか」
さらなる強さを求め、38歳になった現在も新たなトレーニングに取り組み、自分を苛め抜いている。
そんな砂辺の険しい表情が一変する場所がある。それが…
格闘家・砂辺の顔に、笑顔がこぼれるこの場所は「放課後デイサービスクロスライン」
障害を持つ子ども達の居場所になるようにと去年3月、砂辺選手自身が開設しダンスや体操を教えている。設立からおよそ1年半、16人の子ども達が通う。
砂辺光久選手「可愛いですね笑、憎らしい時もありますけど笑。もうクタクタですよ、わずか2~3時間なんですけどエネルギーはすごいので、そのエネルギーをどこに向けるかが僕らの仕事だと思っているので」
2年前に知り合いの放課後デイサービスを訪れその時の子ども達の笑顔が忘れられなかったことがこの施設立ち上げのきっかけだった。そして、もうひとつ、ある思いがあった。
砂辺光久選手「中学2年生の時に尿検査で引っかかって「運動しちゃだめだよ」と言われて、でも僕は格闘技が好きでパンクラスのチャンピオンになりたいんです、と涙を流しながら医者に話をして」
パンクラスに憧れ、中学生の頃、格闘技を始めた砂辺選手しかし、その矢先、病院で「腎不全」の診断を受け「今後は運動はできない」と医師から告げられた。
砂辺光久選手「あの時は本当に何もさせてもらえないとか、自分の夢を絶たれたのが強かったので」
それでも、夢を諦めず、通院しながら格闘技に打ち込み続けそして、ついにパンクラスでチャンピオンになるという夢を叶えた。
砂辺光久選手「自分で言うのもあれなんですけど、成功例だと思っているのでそれを1人でも多くの人に伝えていければと思うし多くの子どもも本当に可能性だらけなんですよね」
施設に通う児童「これから…跳び箱をしたいです。大人になったら警察になりたいです」
さらに、施設で子ども達と接した後には再びジムに戻り、初心者を含め格闘技の指導に汗を流す。格闘技と児童施設での取り組み、一見全く違う2つはチャンピオンになって芽生えた、ある信念でつながっていた。
砂辺光久選手「格闘技もそうなんですけど、できる人ができない子に教えてあげるという自分たちの信念でもある、「強いは優しい」というものにつなげていこうと思っていて。強くなきゃ優しくなれないんですよ。自分でいっぱいいっぱいだと人にも与えることができないので(ジムでは)みんな強くなろうぜという気持ちがあるので、指示を出しながら一緒に練習したりとかできるので」
砂辺光久選手「ここ(施設)でやっている体操が人よりできれば人に教えることができる。こっちは俺できるからっていう余裕が1つでも生まれれば人に優しくできるかなという気持ちがありますね」
格闘家・砂辺光久。これからも人としての「強さ」と「優しさ」を追い求め、戦い続ける。
以上スポーツでした。