先月30日。北中城村のショッピングセンターで行われたのは、訪れた人に鶴を折ってもらうイベント。「原爆の子の像」のモデルとなった、佐々木禎子さんの思いを伝える取り組みです。
イベントを行ったのは、禎子さんのおいで、シンガーソングライターの佐々木祐滋さん。折り鶴を通して平和の大切さを世界に訴える活動をしていて、全国の小学校など、これまでに約500か所で、禎子さんの思いを綴った曲を歌い続けています。
佐々木祐滋さん「僕自身は原爆を経験した訳ではないが、そこに(被爆2世の)血が流れているということは使命があると思う。僕は常に使命を感じて、たまたまおばである禎子が白血病で亡くなったので禎子を通じて活動しているが、それはきっかけであってほしくて。」
佐々木さん「沖縄も含めて、生きたくても生きられなかった人たちの思いまで背負っていかなくてはいけないと思っている。」
広島で理髪店を営んでいた両親のもとに生まれ、2歳で被爆した禎子さん。それまで元気に過ごしていましたが、12歳のとき、突然、白血病を発症し、入院。痛みと戦いながら、病気が治るようにという願いと、家計が苦しく、治療費が出せない両親を思いやり、ひたすら鶴を折り続けました。禎子さんにとって、鶴を折ることが生きる支えだったのです。
禎子さんが折った鶴は、4年前、沖縄市に寄贈され、沖縄と広島の平和を願う象徴として、当時の思いを今に伝えています。
佐々木さん「広島と長崎、沖縄。それぞれの土地で起きたことを、お互いが勉強しつつ平和を感じて、未来を語れるような橋渡しを折り鶴でしたいなって。」
佐々木さん「みなさんの平和の思いを込めた声をいただきたいんです」
イベントでは、太平洋戦争での日米の犠牲者数と同じ350万羽の鶴を折ることを目指していて、訪れた人の歌声の収録も続けています。
鶴を折った人「広島でも原爆があって、沖縄で地上戦があってということを改めて考えさせられる。」
鶴を折った人「戦いじゃなくて、争いじゃなくて、平和を作ろうという(会場の)気持ちがとてもよかった。」
折り鶴と歌声は、禎子さんの鶴とともに、来月6日の「広島原爆の日」に、原爆を投下した爆撃機が訓練を行ったアメリカ・ユタ州のウェンドーバー空軍基地の跡地にある博物館に寄贈される予定です。