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元県知事の大田昌秀さんが12日、那覇市内の病院で肺炎と呼吸不全のため亡くなりました。大田さんは、12日が誕生日で92歳でした。

1990年から98年までの2期8年にわたり、沖縄県知事を務めた大田さんは、鉄血勤皇隊の一員として沖縄戦を経験。そうした体験をもとに、「沖縄戦」や「平和」をテーマに研究を続け、県知事在任中には、普天間基地の返還合意や読谷村楚辺通信所の代理署名拒否など基地問題の解決に向けて尽力しました。

大田昌秀元知事が死去、92歳

また、「平和の礎」の建立にも関わり、知事を退任した後も沖縄国際平和研究所を立ち上げるなど、亡くなる直前まで平和研究に没頭してきました。大田さんは、2016年の末から体調を崩し入退院を繰り返していたということです。

大田元知事死去のニュースは、那覇市内で新聞の号外で伝えられ、雨模様の中、多くの人が驚きをもって受け止めていました。

街の人たちは、「大変残念ですね。大往生ですよね」「平和運動を一生懸命頑張られていた方なのでちょっとショック。安らかに眠れることをお祈りいたします」「亡くなるまでしっかりと沖縄のことを考えて頑張ってくれた方だなと今思い出した。天寿を全うしたという感じもする」などと話していました。

大田昌秀元知事が死去、92歳

ご遺体が安置されている葬祭場前です。大田さんのご遺体は、息を引き取った病院を出たあと、2時間ほど前にちらに到着しました。

きょういっぱいは仮通夜が営まれますが、生前の大田さんと交流のあった人たちがご焼香に訪れる姿が先ほどから少しずつ見られています。

大田さんが大学教授だった当時の教え子だという男性は、最期を看取ったということで、その時の様子を語ってくださいました。

大田昌秀元知事が死去、92歳

琉球大学での教え子玉城真幸さん「小さな病室で大きな声でハッピーバースデーをディア大田昌秀で歌って終わったらすっと静かになった。歌った私たちがびっくりして」

ご家族、教え子に見守られて穏やかに逝った大田さん、あさって正午にこちらを出棺して、荼毘に付されます。

告別式は15日の午後2時に営まれる予定です。