Qプラスリポートです。今年も盛大に開催された糸満ハーレーですが本番のハーレーとは別に、〝伝統の歌〟が受け継がれていることをご存知でしょうか。ハーレー歌を次の世代に残そうと尽力する男性を追いました。
ウミンチュの街が年に一度沸く日、糸満ハーレー。この祭りになくてはならない歌があるのを知っていますか?
糸満市内の音楽教室。地元の人たちの歌声が響いていました。
参加者女性「ハーレー歌です」
参加者女性「楽しい。ものすごく楽しくって。本当に自分がハーレー漕いでいるよう」
航海安全や豊漁の願いが込められた「糸満ハーレー歌」メロディーは全て同じですが、西村・中村・ミージマの各村で、歌詞やハヤシが異なります。600年前から歌い継がれてきた伝統の歌。しかし、1960年代には歌い手が5人にまで減り、継承の危機にありました。
そのハーレー歌を絶やしてはいけないと立ち上がったのは喜納健仁さん。10年前から地元の人へハーレー歌を広げているオペラ歌手です。
喜納健仁先生「ハーレー会場でスピーカーから流れてくる歌らしきものが・・というぐらいの印象しかなくてですね。どういうものか知らなかったんですよね」
喜納さんがハーレー歌を知るきっかけとなったのは30年ほど前。杉本信夫さんという作曲家が書き起こしたこれまで口伝えでしか歌い継がれてこなかったハーレー歌の楽譜との出会いでした。
喜納健仁先生「感動しましたね。これオペラだなと思いましたね」
糸満ハーレー歌の一番の特徴は音域の広さ。オペラと比較すると・・・
喜納先生「ラララ~♪こんな歌ですね。この音を糸満の海人たちは同じ音を出す。ハーレー歌がどういうものかというとこういう歌です」
ハーレー歌存続のため、喜納さんは糸満市と協力し、ハーレー歌講座やコンテストを開催。
10年目を迎えたことしの大会には地元の保育園児から大人まで、およそ120人が出演。歌うだけではなく、初めて舞台で「ハーレーの日」を表現します。
参加者男性「先頭で入場します。ドキドキです!」
参加者女性「(Q緊張はない?)そういうの無いです。楽しくって。2、3日寝られませんよ、これがあるから」
喜納先生「普段の力を発揮すればお客さんも喜ぶかなと思ってます。みんながハーレー行事のときに一つになったときの力を見てもらいたい、表現したいなと思います」
舞台の上でもうひとつの糸満ハーレーが繰り広げられました。
女性「初めて聞きました。感動しました」
男の子「楽しかった!」
お父さん「とても楽しかったです。元気よく歌ってくれてとてもうれしいです(Qご自身はハーレー歌歌えるんですか)今日から勉強します」
男性「昔からおやじがサバニ作ってたからハーレーにはちっちゃいころから参加しているわけ。歌えはしないけど、やっぱり聞いててほっとする。素直にほっとする」
喜納先生「ウミンチュのみなさんたちが大切にしているものですから、競漕するだけではなくてウガンも大切だし、歌も大切だし、そういうとこころを一緒に受け継がれていけばいいかなと思います」