1947年に台湾で起きた2.28事件数万人以上が亡くなったとされるこの事件には、4人の沖縄県出身者が巻き込まれました。事件から70年、おととい沖縄で初めての追悼集会が開かれました。
おととい那覇市で開かれた台湾2.28事件追悼集会。遺族やその支援者が手作りで開いた集会には多くの人が参加しました。
今から70年前の1947年、台湾の国民党政権が抗議デモを武力で制圧し、数万人以上の死者が出たともいわれるこの事件では沖縄県出身者4人も犠牲になったとされています。
父親の惠先さんを事件で亡くした青山惠昭さん。父親の姿は記憶に残っていません。
青山惠昭さん「(私は)1943年5月の生まれなんですね。うちの父親は私が生まれて3か月か4か月、8月か10月ごろに徴兵されて、ベトナムに連れて行かれたんですよ。それから会ったことないですね」
惠先さんは終戦後、引き上げ先の鹿児島から、家族が暮らす台湾へと向かい、事件に巻き込まれました。「父親が亡くなった本当の理由を知りたい」惠昭さんは台湾政府に何度も損害賠償を請求。
去年、外国人として初めて損害賠償の支払いが認められました。現在、惠昭さん以外の2人の遺族が台湾政府へ損害賠償の支払いを求めています。
當間チエミさん「祖父實は、ヒールンの社寮島の港から拉致され、現在では和平公園という公園となっている場所から袋に入れられ海へ投げ込まれたであろうといわれています。祖父が存在していたんだという証を確信するためにも台湾2.28の真実を求めるために日々頑張っています」
今年の2月28日、遺族たちの姿は台湾にありました。事件から70年、今なお明らかになっていない事件の全容。「風化に抗い記憶の継承を」家族たちは父親の生きた証を残すべく祈り続けています。
青山惠昭さん「一番怖いのは風化ですよ。証言者どころか子供たちでさえ、2.28事件で失踪したと分かったのは25年前です私もね。(県出身被害者が)2,30人ぐらいいるんじゃないかと本当思いますね。ただほとんどが忘れ去られていますから、台湾とも沖縄県民とも、韓国とも手を組みながら真相がね掘り起こされ行けばと。まだまだ道のりは遠いと思っています。