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沖縄戦の激戦地だった那覇市首里で、戦後、荒廃した人々の心を支え、復興を見つめてきた物があります。今、その街のシンボルを復元しようという取り組みが始まっています。そこには平和への祈りが込められていました。

那覇市にある首里教会。およそ70年ぶりにあるものを復元するために集まった人たちがいます。

安富祖さん「主に検討していただきたいのが形、傷の具合、傷の入り方と位置、深さなど、それ以外に色味です」

つながる × 十字架 “復元”に込めた平和の祈り

輪の中心にある、傷だらけの十字架。かつて沖縄戦で銃弾の雨にさらされた十字架を蘇らせるために作製したレプリカです。

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沖縄戦の激戦地・首里。ここ首里教会も日本軍に接収され、激しい攻防戦に巻き込まれました。戦後、残ったのは、廃墟となった教会堂と傷ついた十字架。その十字架は、今の教会に姿を変えて横たわっています。

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竹花牧師「戦後、数か月か1年ぐらいは皆さんは傷ついた十字架を見ていたと思う。保護も兼ねて、修復して礼拝に用いたり、教会生活に使っていくということで、モルタルをかぶせたんです。ですから実際の当時の十字架は15ミリほど下の、この十字架なんです」

今は目にすることができない傷ついた十字架。復元しようとするのにはこんな想いがありました。

竹花牧師「復元しましょうということについては、私たちはやはり沖縄戦とか、大変だった時代を忘れてはいけないという思いが強くて」

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教会堂は戦後修復されましたが、現在の会堂の完成に代えて1984年に取り壊されました。教会員の望みだった当時と同じ教会の建設が進むなか、そこに掲げる十字架についても話し合ってきました。

徳平さん「(レプリカが)あまりにも砲弾を表現しているものですから。十字架が浮いてしまう場合があるんですですから、主役はどれなのかということですよ。全体が主役なのか、十字架が主役なのか」

委員「あえて私たちは傷のついた十字架を掲げたいという意味は調和じゃないと思うんです」

竹花牧師「何としても傷ついた十字架を復元してほしいという方々の声と、建物自体は建立されたときのものを復元するというのでは、コントラスト(相違)が意見の中にあることは確かにある」

委員「(Q:ご覧になっていかがですか?)私たちはそのもとの十字架を見たことがないので」

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調和か復元か。復元するのに頼りなのは、数少ない証言と数枚の写真です。そんな中、当時の十字架を知る人がやってきました。

比嘉文子さん「こんなにしっかりしてなかったような気がするけど。鉄筋が少し入っていましたでしょ?(鉄筋も)出ていて。だからもう少しボロボロだった印象があるんです。その時はまだ小学校5年生の時の印象だから」

比嘉文子さん。幼いころ、この首里教会で開かれた幼稚園に通っていました。

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比嘉さん「(学校生活は)とても楽しかったですよ、とてもモダンでね。当時としては珍しく紙芝居があるし、きれいな本が沢山あったんです」

教会が大好きで、卒園後もよく通ったという比嘉さん。疎開した熊本から、戦後帰ってきた時に見たふるさとの光景は変わり果てたものでした。

比嘉さん「首里に入ってきたのに私は知らなかったんです。どこに来たのかと思って。入ってきて、父が『あっちが首里城だ』というけど真っ白で首里城じゃないんです。え??と思ったら『文子、左側を見てごらん、教会があるよ』と。それで首里だと初めてわかったんです(十字架を見た時は)良かったというのと、まぁという悲しみと、二つ一緒でした」

首里に戻って目にした傷ついた十字架に、戦争を生き抜いた自身の姿を重ねた人は多くいたそうです。

比嘉さん「平和のシンボル。みんなが戦争という過酷なことがあった。こういう辛い歴史があったんだ、だけどそれを乗り越えて今の時代があるんだ。(Q:十字架を目にするのは楽しみですか?)そうですね、どんなふうになっているのか、楽しみです」

首里の人々の祈りを込めた十字架は、来月、新たな会堂に掲げられる予定です。

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