Qプラスリポートです。2011年の東日本大震災から来月で6年になります。県内には、発災からマフラーを編み続けることで支援を続ける女性たちがいます。そこには、一人の女性から始る毛糸に込めた復興への願いがありました。
女性たちが編んだ「マフラー」実はこれ、趣味の編み物ではないのです。東日本大震災で被災した東北の子どもたちに毎年マフラーを送っているのです。
2011年3月11日東北地方を襲った大地震。渡嘉敷島で幼稚園の園長を務めていた新垣さんは真っ先に被災地の子どもたちのことが頭に浮かびました。
「自分にできる支援を」と最初は義援金や絵本などを知人のいる宮城県気仙沼市に届けていましたが、寒さの厳しい東北で子どもたちに少しでも暖かい思いをしてもらいたいと手編みのマフラーを作ることにしました。
新垣光枝さん「手編みは私のこだわりで、手編みじゃないと思いがこもらないと思うんですよ。顔ははっきりしなくても、子供たちが楽しそうに動き回っている様子を思い浮かべながら一針一針縫っていますね」
最初は一人で活動していた新垣さん、その様子を、新聞やテレビで知った人たちから「自分も参加したい」と連絡があり活動の輪が広がっていきました。
井上さん「自分も(東北の)何か役に立てればということと、新垣さんが『(活動は)細く長く』という言葉に惹かれてずっと繋がっているので感謝してます」
参加する人たちが徐々に増えてきたので3年前には「気仙沼にマフラーを贈る会」を発足させました。
新垣さん(姉)「生きがいでもあるんですね。」
渡久地さん「車にもいつも常備していていつでもできるように、ちょっと待ち合わせの相手が遅れても全然OKで。笑」
今回はマフラー200枚を仕上げ気仙沼市の13カ所の保育園に贈りました。これまでに、延べ50人のメンバーがおよそ1200点を作り上げ、被災地に送っています。
そんな沖縄の人たちの思いに対し、園児たちからもマフラーを身に着けた写真や「ありがとう」などと書かれたお礼の手紙も届くようになりました。
「マフラーありがとう」「わたしはきみどりのマフラーをもらいました。先生も似合ってるねと言いました」
メンバー「かわいい~」
そしておととしには、このマフラーの交流をきっかけに新垣さんは、現地の保育園を訪ね、子どもたちと会うことがもできました。
新垣光枝さん「子ども達は未来を見つめてとても明るくて元気だし、私たちの方が力をもらうぐらい元気だし。編むのも手段ですけど、思いを寄せている人がいるっていうのを向こう(被災者)が感じるっていうのが一番いいのかな」
ことしも被災地に、温かい贈り物が届けられました。
大震災からおよそ6年一目一目に「忘れていないよ」との思いを込めた支援が、子どもたちの心と体を温めています。
新垣さんは毎日東日本大震災が起きた時刻に携帯のアラームを鳴らしている「被災地と繋がっていたい」と話していました。